花柄傘の伝説?


「おーい、帰るぞ」
「うん」
 仲のいい友達は双子だった。
 二卵性双生児。二人は全く似てなくて、片割れは女の子。
 いつも、仲良し双子兄妹と共に帰るオレ、高田伸也(たかだ しんや)。
 友達の妹――炎摩理実(えんま さとみ)に恋して数年。
 奥手なオレは、どうしても一歩を踏み出せないでいた。
 嫌われるぐらいなら、一緒に居られるだけまだいいかな、という甘い考えをしていた。
 突然、彼女が居なくなるなんて、その時は考えもしなかったから……。

 その日も、特別変わった事もなくいつも通り。親友であり、彼女の兄である小多朗(こたろう)と理実ちゃんの三人で帰る。
 一緒に帰れるようになったのも、小多朗のおかげ。彼女のことが好きだと打ち明けた次の日から、ご丁寧に誘ってくれるようになったのだ。
 そりゃもう、舞い上がりそうなほど嬉しくてたまらなかったけどね。

 幸せな日々はある日突然、取り返しのつかない悪夢へと変貌した。


 帰り道で教師に対する不満を漏らしたり、部の後輩がどうだとか。ドラマの話や映画の話。そんなつたない会話だけど、オレにとってはものすごく大切な時間だった。
 彼女と普通に接していられる、唯一の時間。
「ごめん、ちょっと本屋に寄ってから帰るから」
 本屋は自宅方面とは別方向。その日はこの交差点で別れることになった。
「じゃ、また明日」
「うん、バイバイ高田くん」
 丁度、青だった横断歩道を渡り、こちらを振り返って大きく手を振ってきた。
 それに答えるよう控え目に手を振ると、彼女は本屋の方へ走って行った。
 姿が見えなくなるまでその場で見送り、自宅方面へと歩き出した時、妙なスキール音が聞こえたので再び振り返ったのと同時に、金属音とガラスが割れる音が混じったような聞いたこともない音が刺すように耳に飛び込んできた。
 次の瞬間に聞こえたのは、悲鳴と罵声。静かだった街が急にざわめき出したように人の声で溢れた。
『救急車!』
『警察!』
 その二つだけははっきりと聞こえた。
 何が起こったのかは分かっていた。だけど身体が動かなかった。
 視線の先――事故現場には人がどんどん集まっている。

 ――そっちの方向に、理実ちゃんが……。
 ――早く行かないと……。
 ――もしかしたら……。
 ――そんなことはない。

『しっかりしろ! もうすぐ救急車が来るぞ!』

 ざわめきの中から聞こえたはっきりと通る声。
 オレは走り出していた。人ごみを掻き分け、事故現場までたどり着いて、信じたくない光景を目の当たりにした。
 先程まで元気だった彼女が、血まみれで虚ろに空を仰ぐ姿がそこにはあった。
「理実ちゃ――!!」
 その時、自分が何を考えてそうしたのかは分からない。
 彼女を抱き起こし、溢れ出る血を止めようとしたのか、必死に抱きしめた。
「大丈夫だから、大丈夫だから……」
 呪文のように繰り返しそう呟くオレ。
 背中に回された彼女の手は弱々しかった。
「良かった……伸也くんが居る……」
 彼女に名前で呼ばれたのは初めてで――そして、最後だった。
「ダイスキ……ずっとスキだから……」
 言葉が途切れたのと同時に、彼女の体の力は抜け、背中に回されていた腕がパタリと地に落ちた。

 ――ウソ……だよね?
 ――いつものキツい冗談だよね?
 ――だって、まだ暖かい……。

 いつの間にか背後に立っていた小多朗がオレの背中にすがり付いてきた。
「――ゴメン、伸也……」
 どうしてオレに謝るの?
 小多朗は背中で震えていた。
 オレも、なぜか涙が止まらなかった。

 理解はしていたんだ。だけど、認めたくなかったんだ、彼女が――理実ちゃんがオレの腕の中で死んだなんて……。


 記憶が抜け落ちたのか、次の彼女を見たのは小多朗の家。
 血だらけだった顔もキレイに化粧され、まるで眠っているだけのようにも見えた。
 小多朗が気を使って二人きりにしてくれた。
 オレがどれだけ語りかけても返事は返ってこない。くるはずもない。
「オレ……臆病だからずっと言えなかったけど、理実ちゃんのこと、ずっと好きだった……」
 小多朗が謝った理由……オレ達が本当は両思いだったって事、知ってたから?
 何も悪くないじゃないか。オレがはっきり言えなかったから――今更後悔したって遅いのに……。
 制服の袖でゴシゴシと涙を拭うと、そっと彼女の唇にキスをした。

 体温を失った彼女は、とても冷たかった。
 オレの――大好きな彼女との初めてのキスは氷のように冷たかった――。

 外はいつの間にか雪が降り積もっていた。そんな、悪夢のような中学三年の冬――。





 それから、なんとなく生きてきた。気付けば高校三年生。
 今でも三年前と変わらぬメンバーでつるんでいる。彼女が居なくなったことを除けば……。
 友達と居る時は極力明るく振舞ってきたけど、彼女のことがずっと引っかかったまま、恋さえもできずにいた。
 それに気付いているのは、彼女の兄、小多朗だけだった。


 オレ達の間では、朝、学校に来ると必ず屋上へ行くのが日課になっていた。
 世間から不良と呼ばれるアレの部類。
 授業はサボリまくり。いつぞやの校内に落ちてたタバコ事件に関しては、犯人はオレ達の中の誰かがヘマしたか、他の誰か。そういう事件を未然に防ぐ為、今は屋上だけ。濡れ衣を着せられるのはいつもオレ達だけど。
 万引きなんてシャレたことはしないし、ケンカもしない。バイクに乗り回したりしてるけど、ちゃんと免許も持ってる。学校には内緒で取得したけど。
 他人に迷惑をかけず、自分達が今、楽しければそれでいい。その程度の環境に優しい不良さん。

「おお、いきなり愛の告白現場発見!」
 下を覗き込んでいた佐久橋が急にはしゃいだ声を上げ、招くようこちらに手を振ってきた。

 今、ココに居るいつものメンバーは――
 成績優秀、スポーツ万能、長身でモテモテの男前、相模寛人(さがみ ひろと)。パーフェクト男と言いたいが、女癖が悪い。あれだけ授業をサボっているくせに成績がいいのは、頭のデキが違うからだろう。
 やたらはしゃいでる男、佐久橋直樹(さくばし なおき)。なぜか長髪でいつもポニーテールを揺らしている、ちょっと変わり種。とだけ聞くとカワイイ系だと思われがちだが、身長が高い、なのにオネェ顔という奇妙なギャップがある。きっと、ビジュアル系とかいうやつだろう。タイヤの付くものをこよなく愛す、板金屋の息子。
 真っ赤な髪が特徴の炎摩小多朗。彼女の兄。アレ以来、性格は落ち着いたものの、外見がハデだ。人ごみの中を歩いていてもマッチ棒のアタマがピョコっと飛び出ている感じで発見しやすく、目印になる。まるでハチ公だ。メンバーの中で一番デカい。
 そしてオレ。中型バイクに跨ると何とか足が届く程度の身長で、勉強もスポーツもそこそこ。顔も中の中ぐらいか。特徴らしい特徴もなく、ああ、そういう人もいたよね、程度のつかみ所のない平凡な男。

 全員が屋上から下を覗くと、男女が壁際でこそこそ?
「ネクタイ赤だな……一年か」
 相模の視力はダントツ。本人曰く、服も透けて見えるとか……ウソだろうけど。
「入学早々、セッカチなヤツも居るよな」
 うんうん、と髪を揺らして頷く佐久橋。
 オレは、羨ましい気持ちでイッパイだった。
「まぁ飲め」
 察したように小多朗が飲みかけのジュースをオレに差し出した。
「ん……間接キス?」
「……お前は子供か」
 どうせオレはお子様ですよー、と口を尖らせ少し拗ねた。
 予鈴が鳴っても、その二人はまだ何かを話しているようだった。
 ……おおーっと、男が女を抱きしめたぞー! 商談成立!
 一人、心の中で喜んでいると、佐久橋が急に下の二人に向かって叫んだ。
「はいはいそこー、さっさと教室に戻って、授業の準備しなさいよー」
 ヤバイ、と思ったオレはとっさに隠れた。小多朗と相模も同じく。三人顔を合わせると同時に溜め息が漏れた。
 佐久橋は……下に向かって手を振り、楽しそうな笑顔を浮かべていた。
「あははは、行った行った」
 人の恋路を邪魔するヤツは、馬に蹴られてポクポクチーンだぞ!
 ……我ながら、縁起でもない事を。
 受け取るだけ受け取ったジュースを飲みながら、ちょっと冷静に考え直した。
「……間接キス?」
 さっき自分が言った事なのにすっかり忘れてた。小多朗のさりげないツッコミに、口に含んだジュースが別の場所に流れ込み、思いっきりむせた。
「間接キスぐらい何だー!」
 と言いながら、佐久橋が一人一人を捕まえ、唇を奪っていった。
 ……オレまでも餌食に……。
 別にホモじゃない。ただ度が過ぎるだけだ、佐久橋という男は。これが初めてという訳でもない。しょっちゅうこんなことをしている、バカな連中だ。
 自分を見失わずに済むのも、こんな友達に囲まれているからなんだろうな。





 急に雨が降り出した、梅雨の放課後。
 傘を忘れたオレと小多朗は、生徒玄関で忘れ物の傘を物色していた。
「あったー?」
「花柄でよければ」
「良くない!」
 どれもこれも、使い物にならない物ばかりだ。だから置いて帰るんだろうな、と思いながら、これだけあるのだからどこかにまともな傘があると信じて探していた。
「止みそうにないなぁ、どうしよう……」
 オレ達と同じく、傘を忘れた女子生徒が溜め息交じりにそう呟いていた。ここからは姿が見えないが、一年の下駄箱あたりから聞こえた。
 小多朗が花柄の傘をオレに差し出してきたから反射的にそれを受け取った。黙って傘探しを再開したってことは、オレに持って行けということ?
 女の子は嫌いじゃないけど、むしろ好きだけど、緊張しちゃうんだよね。
 カクカクと妙な動きをしながら、一年の下駄箱の方に行くと、靴を履き替えようとしているところだった。
「あの、良かったら傘、使いませんか?」
 ……何で一年に敬語なんだ、オレは。
 いきなり声を掛けられ驚いたのか、女の子は目を丸くしてこちらを向いた。
 目が合った瞬間、オレの中に電気が走り、頭が真っ白になりかけた。
「どうせ、忘れ物の傘だから、気にしないでいいから――」
 口下手なオレを心配したのか、一年の下駄箱を覗きに来た小多朗が、オレの肩に手を置いた状態で止まった。
「え、でも……」
 戸惑う女の子に近寄り、オレは傘を渡した。
「女の子が雨に濡れて帰るのはダメ。風邪でも引いたら大変だ」
 女の子の表情が少し緩んだ。
「ありがとうございます。じゃ、お言葉に甘えて……」
 軽く頭を下げると、彼女は玄関を出て行った。
 傘を広げ、一度こちらを向くと、大きく頭を下げた。
 とりあえず、手を振って見送った。

「小多朗――」
 ……手を変な位置に上げたまま、止まっている。
 スキだらけの腹に軽くパンチを入れるとようやく動き出した。
「……つーか、似すぎだろ」
「……オレもそう思った」
 彼女の兄である、小多朗がそう言うのだから間違いはない。
 先程の彼女は、三年前に死んだ炎摩理実に似ていた――。
「話変わるけど、本当は雨に濡れて透ける下着が見たかったりしただろ」
「……何でもお見通しですね、お兄さん」
 雨に濡れたスカートが太腿に張り付いてたり……ああ、男のロマン。オレ、スカートになりたい。
「だからお子様だと言うのだ。変態染みた想像から、さっさと卒業することだ」
 ……ヘンタイ?!!

 結局、まともな傘は一本も見つからず、仕方なく雨の中を走って帰ることになった。
 風邪を引いたら大変だ、とか言ってた本人が、風邪で寝込んだのは言うまでもない。
 熱にうなされながら思ったことは――
『名前ぐらい聞けばよかった』
 ということだけ。





 ――二日後、鼻水をたらしながら学校へ。
 花柄傘の彼女ともしかしたら会えるかも……と淡い期待をしていたり。
 今日は直接教室に入ると、崩れるように椅子に座り机に頭を預けた。
 雨が降る日は屋上には上がらず、素直に授業を受ける、とは言っても大半は眠っているけど。
「あらまぁ、目が虚ろでヒドい顔。鼻は真っ赤だし、季節外れのとなかいさん」
 オレの顔を覗き込む、おさげ髪の男……今日は髪型が違うんだね、佐久橋くん。
「戸中井さんじゃなくて、高田れす」
 ズルズルと鼻をすすりながら、ボーっとする頭でなんとか理解してそう答えた。
「調子悪いんなら休めばいいのに、そんなに気になるのか?」
 隣で雑誌を見ながらベースでも弾いているような動きをする小多朗が、こちらを向かずにそう言った。
「え、ナニナニ? 何の話?」
 オレと小多朗しか知らない話に首を突っ込もうとする佐久橋。うっとおしいぐらい、首を振りまくり、それに付いていくおさげ髪。ハサミで切ってやりたいと思ったのは初めてだ。かなり熱でヤラレてるみたい。
「昨日、お前のこと探してたぞ」
「ま……まじれすか!!!」
 喜びのあまり、体がダルイ事を忘れて勢いよく立ち上がった。
 ――が、めまいが……。
 真っ直ぐに立ってるつもりだったけど景色が揺れ、そのまま横にぶっ倒れた。
「……直樹、保健室連れて行け」
「何でおれなのさ」
「保健委員だから」
 オレが倒れたぐらいじゃさっぱり動じない、ずいぶんと淡白な性格ですこと……お兄さん。


「三十八度……そんな体でよく学校に来たわね? どうせ授業を受ける気はないくせに……」
 保健医のキツい一言。ズバリですとも、その通りですよ。
「少し休んだら病院でも行きなさい。そしてしばらく自宅で安静にしていることね」
 はいはい。
「……間違っても、タバコは吸わないことね。悪化しても知らないわよ?」
 ズボンのポケットに当たり前のように入れてあるタバコが、いつの間にか抜かれていて、保健医の手の中で弄ばれていた。
「――! ゲホ……ゲホゲホ……ハックシュン!」
 ……咳している最中でもクシャミは出るのか……知らなかった。
「ま、コレは没収しておくわね。二十歳になったら取りに来なさい」
 その頃には賞味期限が切れてるよ……。


 意識が薄れそうになると、自分の唸り声で目が覚める。何度も寝返りを打ち、再び眠りに入る直前でまた自分の唸り声で引き戻される。
 寝るに寝られない。
 今、何時だろう……。
 ポケットを探しても携帯はない。あれ、カバンの中だったか?
 肝心のカバンは教室に置いてきた。
 ヤツ(携帯)はあの雨を耐え抜いたのだ。普通は水没してるだろうよ。
 しかし、マナーモードにするのを忘れたような……。
 あー、それにしても今は何時なんだー。
 と思っていたら、廊下の方からチャイムが聞こえた。
 何限目のチャイムだ!

「失礼しまーす」
「あら、もう授業始まったのに何の用?」
「サボリ」
「……そのまんまね」
「相棒の様子見に来た」
「そ、奥で唸り声上げてたわよ」
「重症? 連れて帰ろうか?」
「で、ついでに早退するつもり……と」
「うん、その通り」
 ツコツコと遠慮しない足音が近づき、これまた遠慮なく豪快にカーテンを開いた長身マッチ棒。
「場所代われ、俺が寝る」
「病人に言う言葉か、それが」
 オレの足元に腰掛けると、手に持っていた携帯でゲームを始めた。
 本当にサボリに来ただけらしい。音ぐらい切れよ。ピュンピュン、ズガーンって、シューティングでもやってんのか?
 しばらくゲームに熱中していたが、ふと思い出したように……というより、小多朗の場合は狙ったように喋り出す。携帯に視線を落としたままで。
「昼休み、食堂で彼女に会ったよ」
「ええ?!!」
 驚いて飛び起きた。貰った薬のおかげか、朝よりは気持ち具合が良くなったみたい。
「一応、保健室でくたばってるとは言っておいたけど……その様子だと来てないみたいだな」
 何だよ、がっかり……。
「何か言ってなかった?」
「……携帯番号……」
 ナニ?!!
「お前の携帯番号教えておいた」
「なんでや!」
 ちくしょう、期待させて裏切る。毎度、毎度引っかかるオレもオレだ!
 パタと携帯を閉じポケットに仕舞うと、顔だけオレの方に向けて喋りだした。
「何を期待してんのかは大体予想はつくけど――美化しすぎだ。世の中そんなに甘くない」
 ……美化しすぎ。ズバリだな。
 似てるとか、ちょっといいことしたぐらいで、何を期待してるんだろう、オレは。
「一年A組、高宮里実(たかみや さとみ)」
 名前を聞いてドキリとした。
「え?」
「彼女のクラスと名前だ。」
 お前の喋る順番はメチャクチャだ。それを一番に言え!
 でも、たまたまとはいえ、同じ名前だなんて……。神様もムゴイことをするなぁ。
 ふと、疑問に思ったので折り返し聞いた。
「どこで調べたの、そんな事……」
「F組の日野に聞いただけだ。ついでに言うと、写真付きだったりする」
 三年F組の日野といえば、我が百異館高校の情報屋だ。陰気臭い感じの女だが、報酬さえ払えば何でも調べるらしい。
 小多朗は再び携帯を取り出し、何度かボタンを押すとディスプレイをこちらに見せてきた。確かに彼女の写真だ。
「後で情報料、払っとけよ。特別にツケにしてもらってるから」
 それまでおあずけ、と言わんばかりに携帯を閉じ、小多朗は保健室から出て行った。
 オレが払うのかよ!

 結局、今日の授業が終わるまで保健室のベッドでゴロゴロしていた。

「どうも、お世話になりました」
 帰り際、保健医にあいさつし帰ろうとした時……。
「そういえば昼休み、わたしが保健室に居ない間、誰か来なかった?」
「……? さぁ」
 先生が席を外したことも知らないのに……その間、寝てたのかな?
「そう、だったらいいわ。とりあえず病院に行きなさいね」
「はい」
 失礼しました、と言いながらドアを閉め廊下を歩き出す。
 それにしても随分調子が良くなったな。あれだけ体が重かったのがウソみたいだ。
「あの……もう大丈夫なんですか?」
 ふと声の聞こえた後方を振り返ると……。
 キャー出たー! 高宮サン!!!
「はい、もう、ばっちし――っくしょん」
 どこが! ってか、また敬語か! 礼儀正しすぎるぞ、オレ!
「あ……あははははは」
 とりあえず笑って誤魔化した。
 でもわざわざ何の用だろう?
「この前は傘、ありがとうございました」
 彼女は深々と頭を下げてきた。
「え? いや、あれは別にオレの傘じゃないし、忘れ物の中にあっただけだから、お礼なんて……」
 慌ててしまい、弁解しているような言い方だ。
「だって、私に傘を譲ってしまったから、雨に濡れて風邪を……」
 そんな事を気にしていたのか?
「いや、花柄だったからどのみち差して帰る気はなかったから、気にしないでいいって。風邪を引いたのも自己管理が出来てないってだけだし」
 曇っていた彼女の表情が少し晴れた。
「あの、図々しいかもしれませんが……受け取ってください!」
 後ろ手に持っていた何かをズイとオレに押し付けると、そのまま走り去ってしまった。
 ……今日、バレンタイン?
 手に持たされた袋の中身は、ドリンク剤と風邪薬。
 美化しすぎ、という小多朗の言葉が、身にしみて分かった瞬間だった。
「ほっほっほ、隅に置けませんなぁ」
 階段の方から声がしたのでそちらに顔を向けると、目を細めた相模が日誌で顔を半分隠した状態で見ていた。姿までは隠れていない。
「覗き見とは趣味が悪いぞ!」
 半分ふてくされたオレは、相模が時代劇の悪い越後屋のような笑いをしながら通り過ぎるのを見送った。

 家に帰って彼女に渡されたドリンク剤と薬を袋から出すと、中に小さく折られた紙が入っていることに気付いた。
 広げると……やたら丸い字で携帯番号とメールアドレスが書いてあった。それに添えるよう書いてあった言葉は――
『早く元気になってください』
 オレ元気、超が付くほど元気!
 思わずガッツポーズ! ――している時、兄貴が部屋に入ってきてそのまま止まってしまった。
「……お前、本当に大丈夫か?」
 何だ、その哀れみに満ちた表情は!!



 夕飯を終え、オレは机の上に携帯と紙、薬とドリンク剤を並べて見つめていた。
 いくらなんでもイキナリ電話するのは失礼だよな。
 といっても、メールするようなネタもない。
 うーむ、折角教えてくれたのに、宝の持ち腐れではないか。
 ……そういえば、薬のお礼は言ってないよな?
 携帯を手に取り、ポチポチと文章にしていく。
『高田です。薬、ありがとう。オレはもう元気だから――』
 ・・・ダカラナンダ? って感じだなぁ。うーん。
 とりあえず、ありがとうぐらいでいいか。クリア、クリア。
 あて先を打ち込み送信。
 ……ま、こんなのでいいか。学校でも会ったらちゃんとありがとうって言っておこう。
 と考えていたらすぐに返信が届いた。
『そのぐらいしか出来なくてごめんなさい。図々しいですけど、また、いつでもメールください。待ってます。  高宮里実』
 待ってるのか! ……これって、期待してもいいのか?
 思わず立ち上がりクルクルと何度か回り、声は小さく、体は大きく万歳、万歳。
「おい、風呂……行くのやめた方がいいな。さっさと寝ろよ」
 急な兄貴の乱入(?)にまたしても止まった。何だ、その汚いモノでも見るような表情は!!


 彼女の事を考えると、心の底からポカポカと温まるような感じがする。
 この感覚は、三年前に失ってしまったと思っていたのに……。





 彼女に貰ったドリンク剤と薬、そして、ひしひしと湧き上がる愛情パワーのおかげか、体の調子は万全に近いぐらい回復した。
 あれだけつまらなかった灰色人生が、いきなりバラ色になったというか……。これはもう、彼女――高宮里実がオレにとって一番の特効薬であると言っても過言ではないだろう。

「おっはよー!」
 オレの気分と同じく、今日の天気は晴れ! 久しぶりに屋上登校だ。
 既にいつもの顔がそこにある。
「お、今日はやたら元気だね。昨日のとなかいさんが嘘のようだ」
 トナカイ?
「でも、鼻噛みすぎで鼻の頭がテカテカだけど」
 にっこりと笑いながら、ポニーテール佐久橋はオレの鼻の頭を人差し指で撫でてきた。
 爪が長くて指の腹というよりも爪で突付かれているような感じだ。引っ掻くなよ。
 小多朗の方をチラリと見ると、オレの方を見て薄く笑顔を浮かべていた。
 それが気になって小多朗の前に行き腰を下ろすと、フフンと鼻で笑った。
「な、なんだよ!」
「いや、心底嬉しそうだなー、と思って」
「……そう?」
 隠すつもりはなかったんだけど、そう答えた。
「季節外れの春が訪れたのですよ、ほっほっほ」
 オレの近くに寄ってきて話に割り込んできた。やめろよ相模、その笑い方。昨日、見られてたことを思い出すじゃないか!
 ああ、何だか顔だけ熱が再発したような……。

 昼、食堂で遠目ではあったが彼女に会い、向こうから小さく手を振ってきた。それに答え胸の高さで手を振ると……それに気付いた相模と佐久橋から肘鉄やら蹴りをくらわされた。

 家に帰るとメールのやりとりをしたり――。


 それが当たり前になってきた頃、彼女からデートの誘いがあったのだ。
『メールばかりで、まだちゃんとお話をしたことないですよね。良かったら今度の日曜日、一緒にどこかに行きませんか?』
 オレってば、一人で舞い上がっちゃって当たり前のことを忘れてたじゃないか!
 即OKの返事を送ると、その後、待ち合わせ場所、時間がポンポンと決まった。
 日曜日は……三日後。





 女の子が準備に時間が掛かる理由がよく分かったような気がする。
 前日から着て行く服を準備していたが、決まるまでにかなりの時間を要した。これが当日の朝だったら……と思うと恐ろしい。
 待ち合わせは十時、学校近くの公園……。

 待ちきれなくて、時間よりも随分早くに到着した。
 最初のうちはじっとベンチに座っていたが、約束の時間が近づくにつれ、落ち着かなくなり、ベンチの前を右往左往していた。
「すみません!」
 遠くからそんな声が聞こえたので振り返ると、彼女が走ってこちらに来た。まだ約束の時間前。
「あの、歩道から……姿が見えたので……私、時間……間違えましたか?」
 胸を抑えて肩で息をしながら喋る。
「いや、オレが早く来すぎただけだから……とりあえず座って、少し休んでから行こう」


 とは言っても、待ち合わせの場所と時間しか決めていなかった為、しばらく公園で立ち往生。
「どこに行きましょうか……」
「普段、どこに行ってるの?」
「図書館……です」
 図書館? 会話が弾むような場所じゃないなぁ。だからと言ってゲームセンターもちょっと違う。
「じゃ、デパート辺りにしますか。買い物も出来るし、喫茶店なんかもあるし」
「そうですね」
 少し照れの混じった笑顔がカワイイ。
 ここで手を繋ぐのは少し早とちり。我慢、我慢。
 オレの横……半歩後ろを歩く彼女。そういえば、制服以外の服装はお互い初めてだよね。
 制服だといかにも生真面目そうな彼女も、私服姿だとごく普通の女の子。
 まるで恋人同士のデートみたいな感じがして、嬉しいような、恥ずかしいような……何だか不思議な気分だ。

 この地域で一番大きなデパートに到着すると、各フロアを一通り見て歩いた。
 帽子を頭に乗せてみたり、アクセサリーなんかを手にとって見たり、片っ端から香水のサンプルを匂ってみたり……。
 喫茶店でちょっと小休止。
 注文を終え店員がテーブルから離れると、彼女は急に笑い出した。
「え、何?」
「あ、いえ……こんなこと言ったら失礼かもしれませんが、どうしても年上には見えないなーと思って……」
 小多朗がよく言う、お子様な部分だろうか。ちょっぴりショック。
「別に悪い意味で言ったわけじゃなくて……接しやすいって言うんですかね。この前の赤い髪の人だったらきっと、会話なんて弾みそうにないし……。あ、今言った事、言わないで下さいね」
 と急にわたわたと慌て出した。
 確かに。小多朗は反応が淡白すぎてオレでも会話に困る。
 間もなく、注文した紅茶とクリームソーダがテーブルの上に並んだ。ちなみに、オレの方がクリームソーダ。
 先にメロンソーダを飲み干すと、残ったアイスを食べる。どうもメロンソーダがにごるのがイヤでそんな風にしてしまう。だったらアイスとメロンソーダを別々に頼め、とよく言われるけど。
 その姿を彼女はじっと見つめている。
「……何? アイス食べる?」
 またもクスクスと笑われてしまった。
「いえ、そういう食べ方する人、初めて見たなーと思って。まぁ、人それぞれですよね」
 そう言われたのは初めてだ。
 メールのやりとりしかまともにやってない、ただのメル友ぐらいだったけど、実際に会って更にその思いは強くなった。この娘とだったら……付き合いたい。
 高宮さんはオレの事、どう思ってるんだろう?
「……高宮さんって……彼氏とか居るの?」
 グラスの底のアイスをスプーンでつつきながら、言い終えると視線だけ彼女に向け様子を伺った。
「……あは、あはははは、ヤダなぁもう。居たら誘ったりしませんよー」
 テーブルをバンバンと叩きながらそう言った。頬を染め、いかにも照れ隠ししているようにも見えた。
「そういう高田さんはどうなんですか!」
 仕返しと言わんばかりに質問返し。
「あははは、居たら人間的にもうちょっと落ち着いてると思うよー」
 それはそれで悲しい言い訳だ。実際は、落ち着くどころか落ち込んでばかりいたんだけどね。
「でも、それが高田さんらしい所だと思います。私もその方が……」
 え、その続きは? CMの後なの?
 待ってもそれ以上は口にせず、オレから視線を逸らした。
「そうだ。プリクラ撮りましょう。確か三階にありましたよね?」
 いきなり明るくそう言われたので拍子抜けしてしまい、はぁ……、とマヌケな返答をしてしまった。
 彼女がカップに残っていた紅茶を飲み干すまで待つと、会計を済ませ、三階へと上がった。

 最近、やたら機種が増えて、どれがいいのか分からないよな……。
 昔は顔だけ撮れるヤツだった。珍しがってやたら撮りまくっていたが、今は――どれを見ても全身撮影タイプでやたら場所を取っている。
「コレにしましょ。友達の間でもキレイに撮れるって話題になってるんですよ」
 さすが情報の最先端、女子高生。こういうのには詳しい。
 オレ、身長が高い方じゃないから、全身となるとちょっと引きたくなるんだよね。彼女の方がオレより少し小さいからまだいいけど。
 一通り撮影が終わり、プリントする画像を選択した後、彼女は落書きを始めた。隣から覗き込むのもどうかと思い、その場から少し離れた。
 印刷されて出てきたモノは、四ショットが二枚ずつ。八分割だ。
 彼女はカバンから手帳、更にその中から小さなハサミを出すと真ん中から切り、片方をオレに差し出した。
 高宮さんが何を落書きしたのかというと……!!!
 初デート記念、だとか今日の日付。やたらハートが書き込まれてたり……。
 驚いて彼女の方に視線を向けると、舌をペロリとだして恥ずかしそうに笑っていた。
「あれ? そんなもの持ってましたか?」
 オレの手を指差す。
 彼女が落書きに熱中している間に、ユーフォーキャッチャーで、かの有名なキャラクターぬいぐるみをゲットしていたのだ。
「んー……初デート記念に高宮さんにプレゼント」
 プリクラの落書きに便乗したような言い方。照れ隠しには丁度良かった。
「え、いいんですか? ありがとうございます」
 オレが差し出したぬいぐるみを受け取り、嬉しそうに抱きしめた。
 彼女の反応が嬉しくて、オレも顔のネジが緩みっぱなしだった。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ、待ち合わせした公園に戻ってきた。
「今日は本当に楽しかったです」
「オレも楽しかった。また行こうな」
 彼女の表情がパッと明るくなり、何度も大きく縦に首を振った。
「それじゃ、ホントにありがとうございました。さようなら」
 ペコリと大きく頭を下げてオレに背を向ける。今にも走り出しそうな時、呼び止めてしまった。
「あのさ……」
 彼女が振り向いた瞬間、言いたかった言葉が脳内から消えた。
「はい?」
 どういう事を口にしようとしていたかは分かるんだけど、うまく言葉が見つからない。
 ……飾る必要はない。気持ちが伝わればいい。後悔しない為に。
「あの……良かったら……付き合わない?」
 驚いた表情は次第に緩み、今までで一番大きなアクションで頭を下げた。
「……よろしくお願いします」





「……緩んでる……」
「……ネジでもどこかに落としたんじゃないか?」
「……美濃呼んで来い。往復ビンタでもしてもらって気合でも入れ直してもらった方が……」
 梅雨なのに梅雨らしくない、晴天の続く月曜日、いつもの屋上。
 ニマニマと笑っているのが怪しいらしく、三人はオレから一番離れた隅に固まり口々に言っている。コソコソではなく、聞こえるぐらいの声で。
 しかし、幸せイッパイなオレには、何を言われようが気にならない。
 小多朗一人、輪から逃げるとオレの横で腰を下ろした。
「……お前、本気か?」
「この表情から察して」
 自然と笑いがこぼれるこの顔をご覧なさい!
「……似ているからとか、代わりだとか思ってないだろうな」
 オレは笑顔のままで止まってしまった。
 どうなんだろう?
 でも、メールするのも楽しいし、昨日のデートもすごく楽しかったし……。なのに、何でこんなに不安になるんだろう?
「中途半端な気持ちのままなら今のうちに諦めろ。後になって傷つくのは彼女だけじゃない。……お前もだ」
 とだけ言って、階段の方へ消えていった。

 ――オレは、誰を見ているんだろう?


 昼休みになっても食堂には行かず、屋上でゴロゴロしながら考えてた。
 そういえば、食堂で待ち合わせしてたのに……。
 コンクリートの上にうつ伏せになった所で止まった。
「あー、発見です! 約束すっぽかすなんて……キャー! 行き倒れー?!!!」
 パタパタと駆け寄り、オレの背中をポカポカと殴ってきた。
「ダメですー! ここで寝たら凍死しますよー!」
 せめて風邪引くぐらいにしてくれよ。
「いや、オレ生きてるから……」
 ――そうだ、オレは生きてる。彼女――高宮さんも生きてる。理実ちゃんは……もう居ない。
 がばっと起き上がると、正座して頭を下げた。
「ごめん、ちょっと考え事してた。別にすっぽかすつもりじゃなかったんだけど……」
 頭を上げると、目の前においしそうなサンドイッチが……。
「いいんです。食堂は待ち合わせ場所なだけで、別の場所で昼食をご一緒したかっただけですから」
 確かに外見は似てる。だけど違う。高宮さんは高宮さん。他の誰でもない。誰であろうと代わりにはなれない。
「……スキです」
「え?」
 彼女の顔が火を噴いたように真っ赤になった。
「ちゃんと言ってなかったから……」
「……あ、そうですね。私も……」
 視線をオレから少し逸らし、肩をすくめると照れくさそうに続けた。
「高田さんのこと……すきです」
 サンドイッチが入った弁当箱を持ったままの彼女の手にそっと手を添える。
 彼女は真っ直ぐオレを見つめ、オレも彼女を見つめた。
 そして、ゆっくりと距離を縮めていった……。

 ――とても暖かくて、柔らかい……。


『ピロピロリーン♪』
 ……すっごくマヌケな音。聞き覚えがある。
 恐る恐る音のした方に顔を向けると、携帯をこちらに向けた、三人組――小多朗、相模、佐久橋。
 サーっと背中のあたりが冷たくなってきた。
「見た?」
「見た。この目でしっかりと」
 携帯をばっちり構えたままで、マジメな顔してそんなこと言われても困るぞ、小多朗!
「撮った?」
「撮った。携帯カメラでバッチリ!」
 撮ったものを見せないでくれ、佐久橋!
「ムービー?」
「あるよ。送ろうか? 記念に」
 そんなに嬉しそうに言わないでいいから、相模!
 ……おのれ、こいつらぁ……。

 屋上からヤツらを追い出しドアを閉め、彼女の側に座ると、ふと彼女と目が合った。
 急に恥ずかしくなって、視線を逸らしてしまった。
 何とも言えない沈黙……。
「……あ、早く食べないと、昼休みが終わっちゃう……」
「そ、そうだね……」
 彼女の手作りサンドイッチのおかげで、硬くなった雰囲気はほぐれ、会話が弾んだ。





 それから、忘れ物の花柄傘には縁結びの効果があるというウワサが広まった。
 誰だ? そんな適当な事を言ったヤツは。
 だけどオレ達は、一本の傘から始まった。

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