こんな生活もアリじゃない?


 今日も今日とて俺こと上野信也(うえの しんや)は台所に立つ。
 ああ、こんなところで何をやっているのだろうか。俺は海よりも深いため息を漏らす。
 現在、午前七時。俺は目下弁当の制作中。何故俺はこうして自分で弁当を作っているのか。
 事の発端は俺が高校生になるとき。親父とお袋は、
「俺たちの青春はこれからだ!」
「きゃぁ! あなたぁー! 一生ついて行くわぁ!」
「ということで後は任したぞ、息子よ。ハッハッハー!」
 とか言って出て行ってしまった。なので、俺は現在一人暮らし中。
 ――の、はずなのだが。
 どう見ても俺の手元には二個の弁当箱。ちなみに俺はそんな大食漢ではない。さすがに二個は厳しい。
 慣れた手つきで卵焼きを作る。俺秘伝の卵焼きには、砂糖など邪道な調味料は一切使用しない。
 入れるのは、牛乳少量のみだ。
 そして、ゆっくりゆっくり溶かした卵を熱したフライパンに注ぐ。
 その後は、完璧に固まる前に巻いてしまう。そうすることにより、外はしっかりと火が通り、中はほどよい半熟で一度で二度の食感を味わうことができるのだ。
「ふふふ、これこそ、俺がこれまで台所に立って編み出した俺流卵焼きだ!」
 完成した瞬間、俺は見事に床に崩れ落ちる。
「ううう、こんなの、完璧な専業主夫の台詞でないかぁ〜」
 とりあえず、できた卵焼きを切って弁当に詰める。俺の作る弁当に冷凍食品など一切無い!
 なんていうか、もう、主夫の貫禄が出てきた気がする……。
 テキパキと他のおかずなどを詰め、弁当にふたをする。いっちょあがりだ。
 時刻はもう七時半になっていた。早いところ朝食の準備にも取りかからなくてはならない。
 トーストにバターを塗り、トースターに放り込む。慣れた手つきでリンゴの皮むき、八つに切る。
 冷蔵庫からヨーグルトを出し、食卓に並べる。あ、コーヒーも用意しなきゃな。
 一通りの準備が終わり、俺は二階のアイツの部屋に向かう。
 部屋の前に立ち、ノックをする。
 反応はない。
 もう一度ノックする。
 全く反応がない。
「おーい。もう起きろよぉ! 七時半だぜぇ」
 だけど、部屋の中からは何の反応もない。くそ、なんでいつもこんなに朝が弱いんだ、こいつは。
 仕方がない、あまり使いたくなかった奥の手でも使うか。
「あ、そうか。なるほど、俺の弁当と朝食がいらないって事なんだな。オッケー。分かったぜ。じゃ、俺は早速朝食を取って学校へ向かうとするよ。おやすみなさーい」
 そう言うやいなや、中からはバタバタと突然慌ただしい音がして、静かになったと思ったらドアが開いた。
「おはよう、シンちゃん」
「おはよう、ご機嫌はいかが? 柚子」
 かなり慌てていた音ののち、部屋の中から出てきたのは我が家の迷惑な居候、阪下柚子(さかした ゆず)である。
 寝癖は全く直っておらず、顔はまだ半分ぽけーっとしている。あ、ヨダレのあと。
「お前はいつになったら自分で起きてくれるのかなぁ? 柚子君」
「いやだなぁ、シンちゃん。私はシンちゃんに起こしてもらう為に起きていないに決まっているでしょう〜」
 そう言いながら、身体をくねくねとさせる柚子。お前は軟体生物か!
「なるほど。つまりお前は俺の弁当がいらないと。何て意思表示がハッキリしているんだ。そうならそうともっと早く言ってくれれば良かったのに。よし、明日からは弁当1個分の手間が省けた。これで俺の弁当をもっと手の込んだ物にできるぜ」
 俺は手を顎に当ててうんうんと頷く。すると、柚子はあわてふためいて弁明を始める。
「ち、違うよぉ! そんなこと一言も言ってないでしょ〜。ただ目覚めはシンちゃんの顔を見て目覚めたいなぁって」
「そーか。そんな変な考えを持っているのはこの頭か? え?」
 柚子の頭を俺は思いっ切り手でつかむ。
「い、イタタタタ! 痛いよシンちゃん!」
「痛くしているからに決まってろう。ほら、飯ができてるぞ。下におりろ」
「うう……。ハーイ」
 俺は先に下におりようと階段の方へ向いたが、顔だけ柚子の方へ再び向け、
「せめて寝癖とヨダレは何とかして来いよ」
 と、言った。柚子はその瞬間ボッと顔を真っ赤にして「分かってるよ!」と大きく怒鳴るのだった。
 やれやれ。


 さんさんと、日の光が眩しく俺を照らす。ふ、今日も良い天気じゃのう。
 俺は学校への道のりを一人で歩いていた。そう、一人で。
「シンちゃ〜ん」
 あ、お隣の鈴木さん、おはようございます。あ、近藤さん、調子はどうですか? 悠二君、おはよう。今日は幼稚園かい? 偉いね。ああ、おばさまもおはようございます。今日はなかなか美しいですよ? え、そんなお世辞じゃないですよ。ホントホント。
「シンちゃ〜ん」
 あ、長田のじいちゃん。いや、今から学校ですよ。ええ、頑張って勉強してきますね。はい、では。あ、田中さん。あとで野菜買いに来ますよ。ええ、安くて新鮮なのお願いします。はい。いやぁ、田中さんの野菜はおいしいですからね。
「シンちゃんてば〜!」
 背後から大きな声が聞こえたと思えば、そのまま背中に衝撃が!
 と、通り魔か! 白昼堂々なんてやつだ! お、お巡りさーん! た、助けて〜!
 あ、そのまま押し倒された。しかも何でマウントポジションの体勢!? 痛い、背中に石が当たってる。痛い痛い。
「もう〜、シンちゃん。無視しないでよ!」
「ア〜、アナタハダレデスカ? ドチラサマ? ボクコレカラガッコウニイカナクチャナラナインデスケド?」
「ちょぉっとぉ〜」
 彼女は俺の上に乗ったままポカポカと俺の胸をたたく。段々とその威力は増してくる。すでにポカポカという次元じゃない。ぼっこんぼっこんとグーで思いっ切り俺の胸をたたく。
「い、痛い! マジで痛い! 悪い。悪かった。悪かったって柚子」
「えへ、最初からそう言えば良かったんだよ」
 と、殴る手を止めニッコリと笑う柚子。
 お、恐ろしい。最近の娘は何て恐ろしいんだ。
 てか、さっきから周りの視線が痛いんですけど。あ、長田のじいちゃん! そんな汚れたものを見るような目で俺を見ないで! ああ、田中さん! さりげなく野菜の値札を俺専用なのを置かないで! しかもかなり値上がりしてるし!
「お、ご両人。朝から元気だねぇ」
「あ、真理先輩!」
「げ、副会長」
 俺は首だけ動かして声のした方を向くと、そこには百異館高校生徒会副会長、沢崎真理が(さわざき まり)が立っていた。
「いやぁ、まさか朝から、しかも路上でそんな熱々ぶりを見せつけられるとは思ってもいなかったわ」
「そんなぁ、先輩。熱々だなんて〜」
「副会長。どこをどう見たらこれが熱々だと?」
「ん〜、少なくとも私にはそう見えるんだけど? 信也君?」
 絶対に、この人は楽しんでる。間違いない。さっきから頬がゆるんでいるところを見ると、これは確実だ。
 俺の上に乗っている柚子は明らかに自分の世界に行ってしまった顔をしている。てか何故俺を押さえつける力が増しているんだ?
「ちょ、早く降りろ。苦しいから、マジで!」
「あ、ゴメンね。シンちゃん」
 ハッと我に返り、柚子は俺の上から降りた。俺は片膝たてて立ち上がる。
「それにしても、上野君。何朝から柚子ちゃんに押し倒されているの? もしかして君って受け?」
「何言ってるんですか、副会長」
「何って事実を率直に」
「述べてません」
 俺は再び海よりも深いため息をつく。ため息をつくと幸せが逃げていくらしいが、それはどうやら事実のようだ。
 だいたい、朝からこんな人に会うとは思ってもみなかった。
 副会長沢崎真理と言えば、泣く子も黙る生徒会副会長。いや、生徒会副会長が恐いわけではない。彼女自身がものすごいのだ。
 現生徒会長もものすごいのだが、この副会長は最強の武闘家として名が知れている。下手に逆らったらおじゃんだ。
 なので、あまり刺激しない方が良い。むしろあまり関わらない方が良い。
 なんだけど……。
「それにしても、まだキスすらしないの? 柚子ちゃん、そんなことしてたら上野君、誰かさんに取られちゃうよ!」
「え、そうなんですか! ど、どうしましょう、先輩」
「大丈夫。そうかもしれないと思って私秘伝の対策マニュアルが……」
 このように、思いっ切り関わっていたりする。頭が痛い。
 最初の出会いもこんな感じだった。
 思い出すだけでも気分がぐんと下がる。
 ああ、あのおぞましい出会い。
 たまたま廊下ですれ違った人に不可思議現象研究同好会への入部しろと迫られたときだ。
 その時、やっぱしべったりと俺についていた柚子も誘われたわけで。ハッキリ言って柚子はすでに部に入ってたし、俺はそんな暇があったら近くのスーパーの安売りに出向いている専業主夫化してた。
 相手の押しはなかなか強く、どーしようかと思っていたときに表れたのが副会長だ。
 颯爽と現れてその女の子を捕まえ、何かひそひそと話し、その後何故か女の子はにこやかな笑顔で去っていった。つまり俺たちは助けてもらったのだ。
 お礼を言おうとし、副会長に声をかけるが、俺は見事に無視!
 柚子の方へ興味を示し、また何かひそひそと話した後、柚子は目の色を変えて俺に襲いかかってきた。
 今でも、あの日のことはトラウマであり、一体彼女が何を吹き込んだのかさえ分からずじまいだ。
 副会長の方を見ると、副会長はなにやらまだ柚子に吹き込んでおり、柚子は真剣な眼差しでその話を聞いている。
 そんな俺の視線に気づいたのか、彼女は俺の方を見ると「何?」と聞いてきた。
 俺は何でもありませんと言って、本日三回目の、深いため息をつくのだった。


 こんなドタバタな生活の発端は、遡ればもう二ヶ月も前になる。
 親の突然の家出(?)によって、だだっ広い(普通の一戸建てだが、俺一人となるとかなり広い)家にたった一人。
 まぁ、ある意味気楽と言えば気楽だし、寂しいと言ったら寂しい。
 とりあえず俺は一人暮らしをせっせと始めることになった。
 一人暮らしをする前までも、家の家事はほとんど俺が担当していたので、さほど苦労もなく、逆に人数が減ったので楽だった。
 もうすぐ春休みが明け、念願の高校生になる。部活はできなさそうだけど、とりあえずクラスの中で目立ち、可愛い彼女を作って、友達と遊びまくって、等々の野望の達成ももうすぐというときに、
 ――柚子はやってきた。

 自称、俺の婚約者。
 突然俺の家に押し入り、勝手に住みだしたのだ。
 何のことか分からないので、とりあえず親に電話するが、全く連絡がつかない。
 仕方ないので、数日家に置いてやったら、ついに親と連絡が取れた。
 正しくは、親からの手紙だった。

『はろ〜、信也。ちゃんとやってる? 実はね、家出る前に言い忘れてたんだけど、あなたの婚約者が家に来るから。ほら、小さいときよく一緒に遊んでいた柚子ちゃんだから仲良くやるのよ。そうそう、あんたの部屋の棚に婚姻届とアレ、入ってるから。婚姻届を出す前まではちゃんとアレ使うのよ。まだ責任とれないんだからね。じゃ、頑張りなさーい。      パピィ&マミィ』

 その瞬間、俺の脳内は真っ白になった。あしたのジョーも真っ青なほどに。
 小さいとき一緒に遊んでいた? はい?
 残念ながら、俺の記憶ライブラリーにはそんな記憶は全く心当たりがなく、親が言うので渋々柚子を家においてやることにした。
 てかアレって何、アレって。
 さすが俺の親だ。考えていることがぶっ飛んでいる。息子の俺にも理解不能だ。
 そしてそれからだ、俺の夢の高校生活が壊れだしたのも。
 まさか高校も一緒とは思わず、さらにクラスまでも一緒のダブルパンチ。
 ずっと俺にベッタリ付いているので、俺は彼女の一人でも作ろうとしていたのに作れず、作らなくていい男の敵を作ってしまった。いや、むしろ絶対に作りたくなかった。
 そう、柚子は可愛いのだ。
 柚子に振り回されていて、心底迷惑だが、彼女はとりあえず可愛い。
 綺麗に切りそろえられたショートカットの髪。くりくりとした目に、ハッキリとした唇。
 まぁプロポーションはさて置いておいて、可愛いのは事実だ。校内にファンクラブがあるという噂だってあるしな。
 だけど、なぁ?
 振り回される俺のみにもなれ。
 いつもバカみたいに元気で、調子に乗って失敗する。
 その被害者であり、尻ぬぐいをするのがこの俺だ。冗談抜きで過労とストレスで死ぬぜ。
 そんなこんなで、二ヶ月。
 気がつけば、高校で初めての体育祭の季節となっていた。


「えー、では、これから体育祭の準備について話し合いたいと思います」
 前で、学級委員の誰かさん(覚えてない)が話し出した。
 我が百異館高校では体育祭が六月末日に行われる。なので、六月の頭から準備をしないといけないのだ。
 ある意味、この日程は大変助かる。
 文化祭と連続にならないので、両方気合いの入った準備、そして本番ができるのだ。
 あ、球技大会は体育祭の代わりに秋にあるらしい。まぁ、そっちはあんまり準備いらないだろうからな。
「いいかぁ、お前ら。絶対隣の組だけには負けるな! 勝ったら俺が何か奢ってやる! だから絶対勝て!」
 前を向くと、クラス担任の美濃佐久間(みの さくま)教諭がつばを飛ばしながら叫んでいる。
 あの先生はかなりの熱血で、しかも体育教師でがたいもいい。
 何故か隣のクラスに対抗心を燃やしていて、この前の中間テストでは平均点で負けたので体育の授業ではひどいお仕置きを全員がうけた(その内容はご想像にお任せしよう)
 ただ、その熱血な姿勢が生徒に結構うけていたりする。
「な、わけですので、とりあえず隣のクラスには勝ちます」
 美濃から教壇を奪い返し、再び学級委員が前に立つ。
 そうして、準備の為の話が進んでいった。

「てなわけで、我がクラスはアーチを担当する人を二名出さなきゃならないのですが誰か作ってくれる人はいますか?」
 最後になって、学級委員はみんなに呼びかける。しかし、誰一人として反応しない。
 アーチっていうのは、各系統別に作られるいわばその系統専用の入場門であり、系統の象徴でもある。
 毎年体育祭では、そのアーチのデザインや作りを表彰する『アーチ賞』が設けてあり、各系統とも力を入れている。
 各クラス二名の製作委員をだし、三学年、計六名で製作するのだ。
 その委員になると、学級の手伝いや練習にあまり顔を出せなくなる上に、一年生の俺たちは先輩たちにこき使われるので二重の苦を味わうのだという。
「誰かいませんかぁ」
 そらいないわなぁ。
 俺はあくびをかみ殺しながら、ボンヤリと前を見る。うん。さすがに先輩と一緒だしな。こきつかわれるのは勘弁だしな。
「ハーイ、私やる!」
 そう思った矢先、隣から元気の良い声が聞こえた。
 横目で見ると、案の定柚子だった。
「ああ、良かった。これで決定ですね。アーチ製作委員は阪下さんと上野君で決定しました。はい、拍手」
「はぁっ!?」
 俺は思わず立ち上がってしまう。
「どうしたんですか?」
「そうよ、どうしたの? シンちゃん」
「柚子は分かるけど、何で俺の名前が出てくるんだ! ちょっと、待てよ」
「そんなの単純明白でしょ。ね、皆さん」
 学級委員はクラスのみんなに同意を求める。そこら中からそーだろ、当たり前ー、とかいう歓声が上がる。
 そこに、さらにだめ押し。担任美濃登場。
「おうおう、うちの目玉カップルが何騒いでんだよ。あ? お前らなんて一緒にしないと作業しねぇだろ。あ、二人でもいちゃいちゃすっし変わらないか? とりあえず、うだうだ言わずに一緒にやれ。決めんのもめんどくさいし」
 そ、それが教師の言うことか……。
 そして、さらにさらにだめ押しで、
「それとも、シンちゃんは私と一緒にするのが嫌?」
 そう言いながら、上目遣いに涙目で俺を見つめる柚子。
 く、くそう。八方ふさがりかよ。
「で、やってくれますよね?」
 今度は、学級委員。しかも、なんかドスのきいた声だ。
「……ハイ」
「じゃあ、今日の放課後から作業開始だから。ヨロシク」
 俺は力無く席に座り、本日四度目の深い、深いため息をついた。
 あーあ、俺の幸せ、また逃げちまう。


 そして、その日の放課後。
「何で貴女がいるんですか?」
「あら、私がいて悪いのかしら?」
 俺はどうやらとことんついていないらしい。
 目の前にいたのは、今朝もあったあの副会長だった。
「私だってC系統の生徒よ。だからこうしてアーチ制作に来ているのよ」
「わー、先輩もなんですか。良かったぁ」
「さぁ、一緒に頑張りましょう」
 俺は、またまたまた深いため息をついて、作業に入った。

 デザインはアッサリと決まり、材料を用具庫から持ってくることになった。
 もちろん、そういう作業は俺たち1年の役目で、俺と柚子は用具庫へ向かっていた。
「エヘヘ〜」
「かなり嬉しそうだな、柚子」
 隣でにたにたと笑う柚子に、俺は苦笑混じりで言ってやった。
 すると、柚子はさらに嬉しそうに笑う。
「だってシンちゃんと二人きりなんだよ。エヘヘ」
「家でも二人だろ?」
「でも、学校じゃ珍しいじゃん」
 そう言って、ぎゅ〜っと俺の腕にしがみつく柚子。
 まぁ、こんなこと、日常茶飯事なので別に気にしないが、やっぱり腕に当たる柔らかい2つの物にはどうしても反応してしまう。
 いや、まぁ、仕方ないだろ! 男として。
 平均以下のくせして柔らかさは十分にあるという二つの山が俺の腕に!
 い、イカン! 別段気にしないとか言いながらめちゃくちゃ気にしてるじゃないか!
 ごほんっ、と明か不審な咳払いをして、どうにか落ち着きを取り戻す。とりあえず、今は先輩様から仰せられた任務を遂行しなくてはならないのだ。悲しき下級生の宿命さ。
 そうして、俺たちは用具庫についた。
 用具庫は校舎から少し離れたところにあり、何故か校舎より古い歴史を持つ。
 だいぶ古く、それでいてかなり大きい。俺と柚子はここにとりあえず塗料などをを取りに来たのだ。
 シャッターをあげると、中からぶあっと埃が舞い出てきた。
「かなり年期はいってるな」
「早くしようよ、シンちゃん」
「そうだな」
 いざ中にはいると、中はかなり広く、それでいて多くの物が置いてあった。
 中は一階と二階に別れており、塗料は二階に置いてあるらしい。
「とりあえず上にあがるか」
 俺と柚子は倉庫の端の小さな階段をのぼる。
 かなり狭い階段で、人一人やっと通れるくらいだ。
「おい」
「何、シンちゃん」
 俺は階段をのぼる足を止めた。柚子もその足を止める。
「お前、くっつきすぎじゃないか?」
「え、そんなことないよ?」
「いや、くっついてるだろ」
 じゃあ、背中に当たっている柔らかい物をなんて説明するんですか、柚子さん?
 せっかくさっき腕を組まれたときの煩悩を振り払ったばっかりだというのに何て事をするんだ!
 ふるふると頭を振り、煩悩を追い払う。おい、こら、俺よ。いい加減にしろ!
「うーん。どうだろう? こんなのくっついてるなんて言わないよ」
 いや、君の解釈もなかなかのものだね。
「とりあえず……」
「とりあえず?」
「少し離れろ! こんにゃろ!」
「ワハハー」
 俺がバッと振り返ると、柚子は笑いながら一階に逃げていった。
 ったく、ホントやることが子供なんだから。
 俺はさっさと二階へあがり、必要な物を探す。
「えっと、塗料塗料っと。あ、あった」
 大きなバスケットに入った塗料一式。なかなか重そうだな、オイ。
 何とかそのバスケットを抱え込み、俺は狭い階段をおりていく。
 一階では、柚子が興味津々な眼差しで辺りを見ている。
 ま、用具庫なんて滅多に入らないからな。
 用具庫には珍しい物が多くある。例えば両目の入っていない達磨。いつ使われたのか分からない血の付いた荒縄。って、荒縄!? そのような本当に用途と不明な物までとりあえず沢山。興味深いものがずらりと並んでいるのだ。
 俺は柚子に戻るぞ、と声をかけようとした。その時だった。

 グラリッ

「ッ!!」
 柚子の隣に立てかけてあった木材がバランスを崩した。
 その倒れる先には、まだ辺りを見ている柚子がいる。
 間に合うか!?
 俺は抱えていたバスケットを投げ出し、柚子に向かって走る。
 大きな木材は柚子に迫っていく。
 そして、俺は大きく手前でジャンプして、柚子を頭から抱えて倒れ込んだ。
 その瞬間、全身に大きな衝撃と、木材が地面に落ちる大きな音がした。
 俺の意識は、真っ暗な闇に包まれた。


 ひどく懐かしい記憶だ。
 それは俺が幼稚園に入って間もない頃、俺はいつも誰かと一緒にいた。
 だけど、どうしても引っ越さなきゃ駄目で、俺はその子と別れなくちゃいけなかった。
 最後に遊んだのは、そう、家の近くの公園。
 俺とその子は砂場でお城を作っていた。
 キャッキャとはしゃぎながら、泥だらけになりながら、砂のお城を作る。
 まぁ、所詮小さい子供の作る砂の城だ。端から見れば砂の山にしか見えないかもしれない。
 でも、俺とその子は一生懸命に砂のお城を作った。何度も何度も砂の山は崩れたが、そのたびに砂をかき集めては城を形作った。
 日は暮れて、思いっ切りいびつな形をした城――実際は城に見えないかもしれないが、俺はそう思っていたのでよしとする――ができていた。
 その時、その子は俺に向かってこう言った。
「ねぇ、わたしのこと、すき?」
 俺は間髪入れずに答えた。
「うん、すきだよ」
「ほんと?」
「ほんとだよ」
「ほんとにほんと?」
「ほんとにほんと」
「ほんとにほんとにほんと?」
「ほんとにほんとにほんと」
「じゃあ……」
 そう言うと、その子は少し間をおいてこう言った。
「いつかわたしとけっこんして、しんちゃん」
 全部、思い出した。


 目が覚めると、そこは真っ白に包まれた部屋だった。
 どう考えても保健室なんて場所じゃない。病院だ。
 隣で、すすり泣きが聞こえたので、首を動かして見る。
 柚子だった。
 ベッドに突っ伏し、肩を震わせて、泣いていた。
 いつも元気な姿しか見ていなかったので、俺はかなり意外に感じた。
 そして、いつもより彼女を愛おしく感じた。
「柚子……」
 そう言って、彼女の頭を撫でた。
 すると、柚子はがばっと顔を上げ、驚いた風に俺を見た。
「し、シンちゃん! 大丈夫っ!」
 柚子の目は真っ赤に腫れていて、鼻先も少し赤かった。
 そんな彼女を見て、さらに俺は愛おしくなる。
「どうだろ。今起きたところだから」
「あ、ご、ゴメンね。シンちゃん」
 柚子は俯いて、そう言った。
「私の所為で、こんな大怪我しちゃって……」
「そんなのいいよ」
「で、でもっ!」
 俺は動く左腕で、彼女を自分の胸に抱き寄せた。
「大丈夫」
「……うん。ありがとう」
 柚子はそっと目を閉じる。
 彼女といて、ドタバタで苦労の毎日だった。
 でも、こんな生活もアリじゃないかな?
 少なくとも、退屈しない日々だろう。
 俺の日常は、今始まったばかりだ。

拍手だけでも送れます。一言あればどうぞ(50字以内)
  
【Index】