Truth
初恋は叶わないものだと、誰かから聞きました。
そういう私も、小学五年のある日、彼の突然の転校で終わってしまった。
幼稚園から一緒で、素直になれず喧嘩ばかりしていたけど、彼が大好きでした。
もし、もう一度会うことができるのならば――今度こそ、正直になりたい。この気持ちを伝えたい。
――私は、あの時から動けないまま……今でも、アナタを忘れられません。
私、神崎真歩(かんざき まほ)。ピカピカの高校一年生。
入学二日目、本日も晴天なり。
「行ってきまーす」
いつも通り、元気に玄関を飛び出すと、門の前で待っているのはお隣さんで幼馴染みの神田恵美(かんだ えみ)。この春からも同じ高校で、なんと同じクラス。
「おはよう、真歩」
「おはよ、恵美ちゃん」
落ち着いた印象と長い髪が、大人っぽさを感じさせる。それに比べて私ってば、どこをどう見ても子供っぽい。言う事を聞かない毛先があっちこっちに向いて好き放題、色々と落ち着きがない。
「定期、持ってきた?」
「うん、オッケー、ポケットに……」
ない! 玄関の靴箱の上に置いて、靴履いて……忘れてきた。
色々と、落ち着きがない。
「うわー、いきなり忘れ物ー!」
閉じたばかりの門を勢い良く開き、玄関に駆け込んだ。
小学校、中学校と、ドジ・バカ・忘れ物の三冠王でしたとも。
入学式は親の車で行ったから、今日は初の電車通学。
改札口直前で定期の事を思い出し、慌ててポケットから取り出すと、勢い余って定期が手から抜け、後方にすっ飛んでだ。
慌てすぎだ、私!
直後、後方でペチッ、と定期が人に当たるような音が――。
「ドジ王、未だ健在……と。お嬢さん、定期が顔面に飛んできたんだけど」
血相を変えて後ろを振り返ると――ああ、なんてことでしょう、通勤、通学ラッシュのこの時間、改札口でもたついたせいで大渋滞を引き起こしている。
目の前で私の定期を持っているのは――恐る恐る視線だけ上げていくと、知っている顔がそこにあった。中学から一緒の神代渉(かみしろ わたる)、彼も同じ高校、同じクラス。中学から、私、恵美ちゃん、渉は仲良し三人組。たまたま三人の苗字に『神』の字があるのでまとめて『三神(さんじん)』と呼ばれていた。新種の神様じゃないよ。
後ろの混み具合と、私に向けられている視線がすごいことになってきたので、挨拶は後回し。定期を奪い取り、急いで改札を抜けた。
「渉……怖いお兄さんだったらどうしようかと思ったじゃないの!」
「いやぁ、声を掛けようと思ってたんだけど、あまりにも見事なドジっぷりに思わず吹き出しそうで……」
渉は私から顔を逸らすと、ククッと思い出し笑いをしている。
「わたしも真歩の後ろに居れば良かった。明日から後ろを歩くわ」
「おおお、何と!」
転んで巻き沿いになっても知らないよ!
三つ目の駅で降りると学校までは徒歩。
まだ慣れない教室へ入ると、慣れない顔がたくさんある。
席は出席番号順で運悪く私は一番、恵美ちゃんが二番、渉も男子の二番で、今のところ席はご近所さん。
昨日は入学式と担任の挨拶程度で終わってしまったので、今日は自己紹介でもやるのだろうか……それは中学までかな?
それにしても、早く席替えしてくれないかな? 右隣の男がやたら私を見下したような視線で見てくるから、気分悪くて……。アンタ、何様! とか言ったら、俺様! って平気で答えそうなオーラを発している。先生が来るまで、後ろの二人と楽しい会話でも楽しみますか。
生徒がまばらだった教室も、だんだん賑やかになっていく。
チャイムが鳴り、担任が教室に入ってきた。手に持っていた出席簿を少し背の高い机の上に置くと、口を開いた。
「出席番号一番の男子と女子、イキナリで悪いけど、今日、日直ね」
……え、私? しかも関わりたくない隣の無愛想な感じのヤツと一緒かい!
「日直、号令」
なんと!
私は隣の男に『お前が号令を掛けろ』という視線を送る。彼はそれを横目でちらっと見ると、号令を掛けてくれた。
「起立……礼」
起立の号令で、一斉に椅子を引く音が響く。礼の合図でオハヨウゴザイマス、とまばらに聞こえた。小学生ほど元気な挨拶じゃなかったけど。
「……着席」
着席で、また室内にガタゴトと椅子を引く音が響いた。
「早く皆の顔を覚える為、出席を取る代わりに自己紹介をしてもらいます。男子から、名前と出身中学……あとは適当に自己アピールでもして下さい。じゃ、一番の岡崎」
隣の男はガタと席を立つと、自己紹介を始めた。しかし、立つとデカいなぁ。
「岡崎です。出身中学は県外なので省略。よろしくお願いします」
彼の言葉からは感情は感じられず、私の中ではキング・オブ・無愛想、関わりたくない人物としてインプット。
「岡崎、名札、何でひっくり返ってるの?」
横目で隣を見ると、確かに名札は名前が書いてある方がポケットの内側に向いている。付いていない訳ではない。
「フルネームで書いてあるのが気に入らないから」
……確かに、学校外ではとても表にできない。
「……あ、そう。じゃ次、神代」
先生もこういう生徒には関わりたくないのかな? 私も同感だ。
「神代渉です。更科中学校出身、剣道部の主将やってました。よろしくお願いしまーす」
岡崎と違って、渉の場合はお調子者丸出しの自己紹介だ。それが付き合いやすいところではあるんだけどね。
男子の自己紹介が終わると、女子。一番は私。
「神崎真歩です。更科中学出身で……」
「あ、入試の時の忘れ物王!」
先生が思い出したように口を挟む。……担任の顔を見た事あるような気がしてたけど、あの時の先生だったのか!
「受験票忘れて、お母さんが慌てて持ってきてくれた、あの神崎さんよね?」
こんな所で私のドジっぷりを披露しないでよ! 皆が笑ってるじゃないの。
「うう……ハイ」
間違いないのであっさり認める自分も自分だ。
「消しゴムも忘れたんだっけ?」
「定規です」
うっかり正直に答えたことで、笑い声が一層大きくなった。きっと、クラスメイトには『ドジっ娘、真歩ちゃん』って覚えられるんだわ。
「朝も定期を忘れそうになった、忘れ物王です。よろしくお願いします」
こんな挨拶をするハメになった、自分が悲しい。
「次、神田さん――」
全員の自己紹介を終え、次は委員会を決めると、今日の授業(?)は終了。明日からは通常授業だとか。
さっさと帰ろうと思ったのに、机の上に置いてある真新しい日誌が、日直であることを思い出させる。
「真歩、玄関で待ってるわね。行くわよ、渉くん」
「ちょ、神ちゃん!」
急に暴れ出した渉を引きずるように連れて行く恵美ちゃん。あらら、行っちゃった。教室をぐるりと見渡すと、四十人近く居るクラスなのに隣の岡崎しか居ない。
廊下から、『まほちー』と渉の声が聞こえるものの、教室は静かだ。
戸締りの確認に回る私に対し、岡崎は机の上に足を投げ出しているだけで、何も手伝おうともしない。
日誌を書き出しても全く関心を持たない。とりあえず、一通り書き終わると、岡崎の前に回り日誌を差し出す。
「名前ぐらい書いてよね。……分かんないから」
おのれ岡崎、日直の仕事は手伝わないし、自己紹介でも下の名前を言わなかったんだから、名前ぐらい書けってんだ!
私って、何だか幼稚だなぁ。
しばらく、私の顔をじっと見つめてくる。な、何だよ、喧嘩売ってんのか?
耳に手を掛け何かを外す……イヤホン? コイツ、のんびり音楽鑑賞してたのか!
「何? 日誌書くの?」
……怒っていい?
「もう、一通り書き終わったから、名前だけでも書いてね」
一応、笑顔でそう言ったけど、頬の辺りがピクピクとしていた。
岡崎は机から足を下ろすと日誌を奪い取り、黙って左手を差し出した。
「何よ」
「書くもの。持ってきてないから貸して」
人にモノを借りる態度か? 頭にくるなー。ここで喧嘩ふっかけても、帰るのが遅くなるだけだわ。おとなしく貸してやろう。
自分の机の上に置いたままのシャーペンを渡すと、素直に名前を書き出した。
左利きか……何度見ても書き難そうに見える。
なになに? 岡崎――成水?
ドクンと心臓が跳ねる。
――まさか、そんなはずは。
「なにそれ、本名? 何て読むの?」
自分が動揺しているのが分かる。どこかに認めたくないという感情がある。
岡崎は日誌から私に視線を移す。その瞳は、全てを見透かしているように見えた。まっすぐ私を捉えている。
「……知ってるでしょ?」
更に心臓が跳ねる。
――確かに知ってる。だけど……。
「いやー、私バカだから漢字読めないんだわ。あは、あははは」
それでも誤魔化す自分。
「あーそうだ。日誌、持って行ってくれる? 友達待ってるからさ」
カバンを手に持つと、
「それじゃ、また明日」
と声を掛け、教室から出ようとした。
「本当は、気付いてんだろ? 神崎アホ」
それは彼である決定的な証拠だった。
――なるみって、女の子みたいな名前だよね?
『うるさい、アホ』
――なるみ、鉛筆、持つ手逆じゃない?
『いいんだよ、左利きなんだから』
『神崎アホさ〜ん、今日も三〇点』
――若月ぃぃぃ!!!
『成水くん、転校するらしいよ? どうするの、真歩』
――転校?
私が知っている、大好きだった彼の名前は、若月成水(わかつき なるみ)。
小学五年の時、両親の離婚でお母さんの方に引き取られ転校した。確かに苗字が変わっていても不思議ではない。
自己紹介でも県外の中学出身だと言っていた。そんな彼がなぜココに帰ってきたんだろう? ――いや、本当に彼なのかな?
私の気分はお構いなしに、朝は来る。
おかげで眠れませんでした。きっと、今日の授業中は催眠学習だわ。一番前だというのに。
「おはよう、真歩。……どうしたの? 昨日の帰りから変よ?」
「いやぁ……はっはっは」
そうだ、恵美ちゃんは私が成水を好きだった事は知ってるんだった。
しかし、言って騒がれても困るので黙っておこう。騒ぐような子ではないけど。
「んー、当ててあげようか? 運命の再会、岡崎が実は若月――」
「キャー! 何で? どうして?」
恵美ちゃんは私の顔を見てニコリ。
「ごめんね。わたし、実は入学式の時に気付いてた」
彼女のビックリ発言は、パニックに陥るのには十分な要素だった。
何で教えてくれなかったのー!
うう……もう、学校には行きたくない。
席はお隣さんだし、いきなり馴れ馴れしく話し掛けられたらどうしよう。
「まほち、神ちゃん、おはよ」
「キャー!」
もう、何にでも敏感に反応してしまう。ダメだわ、私。
恐る恐る教室に入る。隣の要注意人物はまだ来てません。この際、ホームルームが始まるまで寝たふりでもしておこう。
丁度、机に伏せた時……、
「成水くん、おはよ」
恵美ちゃんが狙ったように挨拶するので、体がビクッと反応してしまった。
「ナルミって呼ぶな」
うーむ、昔から変わっていない。……いやいや、私は眠っている。ぐーぐー。
「コレ、どうしたの?」
「うん、多分ね……はず――」
「恵美ちゃーん!!!」
机がひっくり返る程の勢いで立ち上がると、恵美ちゃんの方を向き、手を振り回し、キャーキャーと甲高い声で、自分でも理解できないような事を口走っていた。
運悪く、日直は日替わりではなく、週替わりだと言われ、崖っぷちに立たされた。
このままだと、意識しすぎて自分の方がおかしくなりそう。
その上、更に、私のドジっぷりは、本日も発揮された。
机の中もカバンの中も、隅から隅まで調べたけど、ないものはない。
「……忘れた」
いきなり教科書を。私って、ダメダメ人間。このせいで、私は隣の成水と机をくっつけ、一緒に教科書を見るハメになってしまった。
彼との距離は三〇センチ弱、心臓は益々スピードを上げ爆発寸前。先生の説明さえも、右耳から左耳に抜けていくばかりで全く授業に集中できない。意識は彼の方に向いているような感じ。
黒板に書かれた事をノートに書き写せば、右隣の成水は左利き、そして私が右利き。腕がぶつかっちゃうんだよ、キャー! 何度、頭が真っ白になったことか……。
授業中、何度か成水の顔を横目で伺っていた。もう、私が知っている頃――いたずら少年の面影はなく、渉とは違う男っぽさ。昔から、顔だけは男前だったけど、更に磨きが掛かったというか……私、授業中に何考えてんだろう。
頭を抱えて雑念を払おうと葛藤していると、
「どうした? 具合悪いのか?」
成水が小声で聞いてきたが、軽く首を横に振って答えた。
アンタのせいだよ。今頃になって、何の前触れもなく帰ってくるから、色々考え事が増えちゃって……近すぎて意識しちゃって……。
あと二日は日直。昨日同様、恵美ちゃんは渉を連れて逃げてしまい、またも二人きりではないか! 神ちゃん、かむばーっく!
「何かさ……らしくないよね。五年で人間、変わるんだなー」
「どこがどう変わりましたか?」
黙々と日誌を書きながら、ナゼだか敬語な私。
「俺に突っ掛かってこなくなった所とか。……いや、それ以外はそのまんまか」
いやぁ、気軽に突っ掛かれる存在ではないと、気付いてしまっただけだよ。はっはっは。
「進歩してないっつーか……やっぱり全然変わってない」
ぐっさり。
「アンタも変わってないわよ。大体、何でこっちに戻ろうなんて思ったの」
「五年前に忘れ物したから、届けに来たんだ」
忘れ物を届けに?
「……文法変じゃない? 忘れ物をしたら、取りに来るでしょ」
「届けに来たでいいんだよ。バカだから気付かないと思ってたけど、さすが忘れ物王。こういうのは敏感だな。」
「ば……バカとは何よ、失礼しちゃうわね! 何を誰に届けに来たのよ」
イタズラっぽい笑みを見せるだけで答えず、窓側へと歩いていく。
中途半端に言われると、すごく気になる。
「変わってたらどうしようかって、不安もあったんだ。五年も離れてたから、あの頃とは違ってて当たり前なんだろうけどさ……実際、全然変わってなくて嬉しかった」
……何が?
「スキな子に、スキだって言えなかったから、それを言いに戻ってきたんだ」
おおお、衝撃的告白。頭上に岩でも落ちてきたような失望感が体を貫いた。
これは、ただの喧嘩友達だった私に向けられたものではないはず。少しでも再会を喜んで、ときめいていた自分がバカみたいだ。
「……それだけ?」
「それだけ。何か悪いか」
すっごく悪い、私の気持ちまで掘り返されて迷惑? 何ていうか、最悪。
「誰だか当ててみる?」
興味ない。そんなの聞きたくないから黙ってよ。
「ヒントは、幼稚園から一緒で――」
「……たくない」
聞こえなかったのか、成水はまだ続ける。
「転校前も同じクラスだったかな」
「聞きたくない」
幼稚園から一緒で転校前も一緒のクラスだった女子が何人居ると思うの!
涙で目の前がかすんできた。
成水は言葉を続ける。
「いつも――」
「聞きたくないって言ってるでしょ! もう喋らないでよ、バカ!」
「最後まで言わせろよ、鈍感」
五年経っても、こうやって言い合いしちゃうんだね。
会えたら素直に気持ちを伝えたかったのに……私があの頃から変わってないから?
「いつも、今みたいな喧嘩ばかりしてたから、ずっと言えなかった。転校して、環境が変わっても、結局、忘れられなかった……もしもし、聞いてる? 俺、すっげー真剣なんだけど」
とても真剣に言っているようには聞こえません。そろそろ教科書でも投げた方がいいかしら。
「神崎真歩さん、俺と付き合ってください」
「アホ抜かすなー!!! 寝言は寝て言えー!!!」
手元の日誌を成水に向かって投げる。しかし、彼に届く前に落下。カバンに素早く筆箱を仕舞うと、何も言わず教室を後にした。
嬉しいはずなのに、どうして素直になれないんだろう……私。
また景色が揺らぐ。拭っても拭っても溢れてくる。
素直になれない自分に腹が立つ。情けなくて、惨めで……。
誰も居ない廊下で、しゃがみこんですすり泣くぐらいなら、言ってしまえばいいのに。
私、本当は……アナタが大好き。
――次の日の朝。
「うわぁぁん、イヤだぁぁ、学校やめるー!」
いつまで経っても起きてこない私を起こしに来た母。
色々、理由をつけて休もうかと思ったのに、くだらない言い訳するな、と母がキレてしまい、布団をひっぺがされた私は、掛け布団にしがみついて、懸命に抵抗していた。
「バカ言わないでさっさと行く!」
「いやぁだぁぁ」
学校には成水が居るからやだー!!
散々、抵抗を繰り返したが、あっけなく家から放り出されてしまい、気付けば学校、教室の自分の席。
「どうしたの、まほち、目がうつろ。魂抜けかかってない?」
中途半端に開いた口から魂でも出てるのかしら?
「はぁぁぁ」
渉にツッコむ余裕もなく、ただ溜め息だけが漏れた。
「神ちゃん、まほちどうしたの?」
「……恋煩い」
ズバリだよ、恵美ちゃん。
心の中では突っ込む余裕があるものの、『神崎真歩』本体にその余裕はない。
「は? なにそれ」
いつも陽気な渉の声が、一変した。
「ちょっとまほち、話がある」
強引に腕を引っ張られ、倒れないよう体が付いて行く。教室から出て廊下、階段を下り、人気のない校舎裏に連れてこられた。
こ、これは、少女漫画でありがちなアレ……なわけないか。渉だし。
「何?」
強めに握られて、手が痛い。気付いてもらおうと、軽く手を揺する。
「あ、ごめん……」
慌てて手を離す渉の表情、喋り方は、いつも通りの陽気さを取り戻している。
「話って、何?」
誰にも聞かれたくないから、ココに来たんでしょ?
「信じてくれないかもしれないけど、本当の話。真剣に聞いてくれよ」
渉の表情がまた変わる。……こんな感じの表情、知ってる!
昨日の成水と同じ、男の表情。
「オレ、ずっとまほちの事――」
ありがちなアレ?!!
しかし、渉が言い終える前に、
「はい、そこまで。ここ、廊下から丸見えだよ」
割り込んできたのは成水だった。
うわーん、今一番会いたくない人なのにー。
「岡崎!」
「真歩、日直だから返してもらうぞ」
「待てよ、まだ話が!」
またしても、腕を引っ張られて連れ去られる私。この状況は、助かったとは言えないなぁ。
っていうか、こっちは教室とは反対で、校舎の裏というか側面側だし、どの校舎の窓からもここは死角。先程より状況が悪くない?
体の向きを変えさせられ、成水と向き合う格好になる。背後は校舎。さすがに逃げられない。
「昨日の、冗談じゃないから」
成水は真剣な表情で、少し怒ったような口調だった。
昨日のが本気で、私はその最中に逃げ出したのだから仕方のないことだと思う。
「付き合ってるヤツが居るとか、好きなヤツが居るとか、ハッキリしてくれないと、こっちだって諦めつかないんだから」
好きな人はいる。今、私の目の前に居る。両思いだってことは、私だけが知っている……。
こういう時、何て言えばいいんだろう?
どう言えば想いが伝わるんだろう?
――ワカラナイ。
成水の表情が和らいだ……少し、不安そうな顔? よく……見えない。
「……真歩?」
頬を何かが伝っている。
私、また泣いてるの?
「私……」
耐え切れずうつむき、両手で顔を覆った。
そして、自然と紡ぎ出された言葉は、私の気持ち、そのものだった。
「ずっと貴方のことが……好きでした」
暖かい手がそっと私の髪を撫で、そして優しく身体を包み込んだ。
彼の胸は、広くて……暖かくて……とても安心する。
この時、あの日から止まってしまっていたお互いの時間が、ようやく動き出したのだと、そう思った。
「はいはいそこー、さっさと教室に戻って、授業の準備しなさいよー」
はっと我に返り、慌てて成水から離れると辺りを見回した。
一体どこから? 周りから聞こえた声にしては少し遠くて響いてたし……。
ふと上を見ると、屋上から誰かが見ていた……というより、覗き込んでいた。
いつから見てたの、貴方! それに、誰?
上を向いて口をパクパクしていると、屋上の人物は楽しそうに笑顔で手を振るだけだった。
高みの見物とはこの事か?
「ココなら邪魔は入らないと思ってたのにな……」
成水は頭を掻きながら、悠長にそんな事を言っている。
「もう、教室に戻ろっ」
恥ずかしくて手を引くことも出来ないから、先に教室に向かって一人歩き出した。
「あ、待てよ、真歩……」
一回、成水の方を振り向いたけど先程の事を思い出してしまい、顔がカーっと熱くなったので、慌てて顔を正面に戻した。成水は横に並ぶと、私の顔を覗き込んできた。
「別に恥ずかしがらなくてもいいのに……」
「うーうー、ウルサイ!」
横目でちらっと成水の表情を伺うと、目を細め優しい笑顔で私を見つめていた……。
『――キンコンカンコーン』
「日直が教室に居なかったら、誰が号令掛けるのかしら?」
教室に戻る前にチャイムが鳴ってしまい、急いで教室に戻ったけど間に合わず、担任が教壇で私達を待ち構えていた。
「……えっと……」
「すみません、告白してましたー」
静かだった教室が、成水の一言でざわめきだした。
「はぁぁ?!! ちょっと、何言ってんのよ!」
「だって、本当の……あ、違うか。告白されてた……」
またも、甲高い声で成水に向かってキーキー文句言っていた。教壇の担任がわざとらしい咳をしたことで、ようやく自分達がクラス全員の注目を浴びていることに気付いた。
「いや、あの……違うから……」
必死に、みんなへの言い訳を考える私と打って変わって……、
「わたくし、岡崎成水は神崎真歩のドジっぷりを改革したいと思っております! 無理なら全力でサポートをする次第であります」
選挙演説バリの成水。
いきなりクラス全員にお知らせですかー!!
「もういいから、さっさと号令かけて」
担任は頭を抱え何度か首を横に振った。その表情は、入学早々やってくれるな、コイツら、とでも言いそうな呆れ顔だった。
とにかく恥ずかしくて、下を向いたまま席に戻ると、成水が号令を掛けた。
そう、私達の関係がちょっと変わっただけで、他は何も変わらない。
いつも通り授業を受け、またも教科書を忘れ……普段と変わらない毎日。
だけど、心の中が暖かくて、平凡だけど毎日が充実している感じ。とにかく幸せ。
そうか……これが幸せなんだ……。
本日、日直の最終日。そして週末の放課後――。
日誌を書いている途中、あのウワサの事を思い出した。
「ねぇ、知ってる?」
「何を?」
成水の反応は相変わらず、ぶっきらぼうな言い方だったけど、まぁいいか。
「この百異館高校では、恋人同士は名札を交換するのが伝統なんだって」
「はぁ?」
要は、名札交換の催促だったりする。
私は、自分の胸の辺りをポンポンと軽く叩いた。
「きっと、学ランの第二ボタンと同じよ。心臓……心に一番近いところにあるモノだから、第二ボタンを狙って持っていくのよ。知らなかった?」
「知らない。今初めて聞いた。……なるほどね」
成水は大きく頷いて納得した、という様子だ。
いつもポケットの内側に向いたままの名札を手に取ると、一度名前を確認するような仕草をした。
私の名札に手を伸ばすと、それを外し、反対の手に持っている成水の名札を代わりに付け、私の名札を自分のポケットの定位置に付けた。
「これでいいの?」
「……うん」
……いいんだけどさ……。
みるみる顔が熱くなる。そういうつもりじゃないことは分かっていても、言ってやらなきゃ気がすまない!
「女の子の胸に黙って手を伸ばしてくるなんてサイテー、エッチー!!!」
「はぁ? なんだよ、もう……」
困り顔で頭を掻く成水。それがおかしくて、私は思わず吹き出した。
それを見て釣られるように、成水も笑い出した。
昔と変わらない笑顔で……。
大好き。今までも、これからも、ずっと大好き。
【Index】