TruthU reverse side


 アイツのせいだ……。
 何もかもアイツのせいだ……。

 中学で出会い、意気投合した仲良し三人組――『まほち』こと神崎真歩(かんざき まほ)、『神ちゃん』こと神田恵美(かんだ えみ)、そしてオレ、神代渉(かみしろ わたる)。
 三人とも苗字に『神』の字があることから、いつからかまとめて『三神(さんじん)』と呼ばれるようになっていた。
 同じ高校に進学が決まり、また仲良く……中学の頃の延長であっても、楽しくやっていけると思っていた矢先――同じクラスで席が前、岡崎成水(おかざき なるみ)という存在が、何もかもを狂わせはじめた。

 アイツさえ戻って来なければ……もしかしたらオレにだってチャンスがあったかもしれない。いや、あったに違いないさ。
 なのに、オレの想いはいつも空回り。

 小学校の頃に転校した、まほちの初恋の相手だって?
 アイツもずっと、まほちを想っていただって?
 オレだって、誰よりもまほちを想ってきた。なのに……どうして気付いてくれないんだよ。どうしてオレの恋路を邪魔するんだよ!

 オレが……遅すぎただけなのか?





 告白しようと勢いでまほちと二人きりになったのは良かったんだけど、一番いい所で邪魔が入り、更にはまほちを連れ去られてしまった。突然の出来事にあっけにとられ、反論も奪還もできないまま、二人を目で追うだけ。岡崎は校舎の更に裏の方にまほちを連れて行ってしまった。
 ――日直だから……って、そっちは逆方向だろ!
 と気付くのにも少々時間が掛かった。
 アレも男だから、何かよからぬ事を考えているんじゃないだろうな?
 まほちの身に危険が迫ってはいけない、と思いこっそりその後を追い、隠れて見ていた。

「昨日の、冗談じゃないから」

 昨日?
 日直のまほちを生徒玄関で待ってたけどなかなか来なかった。先に岡崎が出てきて……しばらくしてからまほちが来たけど、すごく沈んでいたことをふと思い出した。
 あの時、岡崎が何かを言ったから、まほちが……?
 おーのーれー岡崎ィー!! と闘志を燃やす一方、

「私……ずっと貴方のことが……好きでした」

 その言葉でイッパツ鎮火。心臓が一度、大きく跳ねた。
 大好きな彼女が口にした言葉は、オレが聞きたかったセリフ。だけど、オレに向けられたものではない。離れても尚、数年間想い続けてきたという岡崎へ向けた言葉だった。
 彼女を抱きしめる岡崎も、まほちも、安らぎに満ちた表情をしている。
 それだけの想い? 離れても互いを想っていた。再会できる保証なんてなかったはずなのに、なぜそこまで相手を想い続けている?
 近くに居るのに、ただ密かに想う気持ちと、何が違う?
 ……キャリアが違うっての? 冗談じゃない。
 オレはこの場の雰囲気に耐えられなくなり、逃げるように走り去った。
 とは言っても、行くあてもなく、鞄は置いたままだから校外に出ても意味がない。仕方なく教室に戻ったのだが……。


「あーらまぁまぁ、ヒドい顔。フラれた?」
「……気付いてたのかよ」
 隣の席、『三神』の一人、神田恵美。机に頬杖をついて目だけこちらを見上げている。
 うっすらと笑みを浮かべているところが、少々癇に障る。
「普通は気付くわよ。何年、真歩のお隣さんやってると思ってるの?」
「……それ、どの話?」
 それはまほちと岡崎の件なのか? 『フラれた?』という言い方をした時点でオレが告白しに行ったと気付いてるじゃないか。まぁ、直接フラれた訳ではないのだが、これも失恋の類であろう。
「神ちゃん……ワザとそういう言い方した?」
「ええ」
 神ちゃんはにっこりと微笑む。
 ここで丁度チャイムが鳴り、担任が入ってくる。しかし、日直の二人組みは不在。
 どちらかがここに居れば、こんなに苛立ったりはしなかったはずだ。二人が今頃、何をしているのかと考えただけでもムカつく。岡崎の存在がうざい。
 アイツさえ、居なければ……。
 一緒に日直の仕事をしたり、いつもみたいに……。
 結局は進歩がないのか、オレには。
 そんな自分もが悔しく、情けなく、奥歯を噛み締め、怒りに耐えていると、今、一番見たくないヤツが教室に戻ってきた。
「すみません、告白してましたー」
 ここで怒りは頂点を極め、ヤツに向けて机でも投げ飛ばしてやろうかとも思ったが、入学早々、恋愛感情の暴走で問題を起こす訳にもいかない。何よりそれはかっこ悪い。
 男なら、潔く……好きな女の幸せを第一に……考えられる程、できた人間じゃない!
 机の上の手がふるふると怒りに震え、抑えようと拳を握った。
 感情を、今にも八つ当たりを始めそうなこの体を、何とか理性を保ち、制止するのが精一杯だった……。


 目の前に居る男が恨めしい。
 授業中、またまたまたしても教科書を忘れたまほちは、岡崎と仲良く机をくっつけて……ヤツはまほちをつついて遊んでいる。
 先生が黒板に何かを書きながら説明している今がチャンスだ!
 音を立てないように椅子をずらし、腰を浮かしながら振り上げる腕。手にはしっかりとシャーペンが握られている。
 ――人誅ぅー!!
 岡崎の背中をめがけて振り下ろそうとした時、隣から何かが飛んできて頭に当たった。
 そちらを向くと、神ちゃんが両手と首を横に振って、ダメダメと小声で言っている。
 ああ、いかん。これじゃ殺傷事件で逮捕だ。ついつい目の前の二人を見ていると暴走してしまう。
 こんな事をしてしまっては、逆にまほちに嫌われるではないか。落ち着け……落ち着くんだワタル……って、この状況で落ち着けるかぁぁぁ!!!

 と心の中での葛藤は放課後まで続いた。
 今日だけでも岡崎殺傷未遂回数は、数え切れない。


 日直の仕事の最中にまほちが襲われてはいけない、と思い、しばらく教室にいたのだが、仕舞いには、二人のラブラブっぷりに耐え切れなくなり、教室から飛び出した。
 階段近くまで走ると、壁に手を突き、怒りとも悔しさとも言えぬ感覚に体が震え、全身の血液が沸騰しているかのように熱くなっている。
 先程まで一緒に教室に居た神ちゃんが後から付いて来て、あきれた声を出す。
「器の小さい男ね……」
 顔だけ神ちゃんの方に向けて反論する。
「好きな女が他の男と仲良くしてると、頭にくるだろ、フツーは……」
「でも、渉くんと真歩が付き合ってる訳じゃないでしょ? その辺は割り切らなきゃ」
 と言いながら、彼女はオレの横を通り過ぎ、階段を降りて行く。
「それから……丸出しの争闘心も抑えたほうがいいわ。勝ち目のない勝負したって、虚しくなるだけよ」
 その言葉はキツく聞こえたけどその通りであり、経験談っぽくもある。
 少し落ち着きを取り戻し、冷めてきた頭で考えた後、
「あ、ちょっと、待ってよ神ちゃん」
 一人、歩いていく神ちゃんを追った。

 生徒玄関で靴を履き替える彼女の顔を覗き込んで聞いてみた。
「もしかして、似たような経験、アリ?」
 いつも穏やかな神ちゃんが睨むようにこちらを向いたので少し焦った。
「そう思うのなら、そうかもしれないわね」
 何故か満面の笑顔。
 中学から一緒だけど、オレが神ちゃんにまほちの事を一方的に聞いたことはあっても、まほちや神ちゃんから恋愛の話は聞いたことがない。まほちがずっと想っていた岡崎のことだって最近、神ちゃんに聞いて知ったばかりだ。……ああ、またムカっときた。
 いや待て。美しいバラにはトゲがあるように、この笑顔にも何かありそうな予感。
「別に最初からライバルなんて居ないのよね、わたしの場合。でも、どちらかと言えば、好きな男の方が曲者なのよ。何かと一途で、それこそ、わたしなんて眼中になさそうで……」
 頬に手を当て、ふぅ、と溜め息をついた。
 神ちゃんからその手の話は初めて聞いた。何だか、自分と似たような状況。オレの場合、ライバルが居るけど。恋とは万国共通の悩みなのか。それなら言えることはただ一つ。
「……あのさ、頑張ってみれば?」
 みるみる呆れた表情に。
「あんたも真歩並の超ド級鈍感さんよね? すっかり忘れてたわ」
 それから発せたれた声もさっきよりトーンが低く、呆れが混じっている。
「は?」
「そうね、頑張ってみなきゃ分からないわよね」
 今度は勝手に納得し始める。オレには何が何だかサッパリだ。
 ついでに、オレが靴を履き替え終わった途端、腕を引っ張られてなぜか校門とは逆方向に連れて行かれる。
 そうか。人気のない所で恋愛相談会だな。よーし、経験値ゼロだけど、今まで散々聞いてくれたのだから、ここは一肌脱いでやろうじゃないの。
 校舎の裏まで来てようやく止まり、手を放してくれた。
「オレじゃいいアドバイスはできないけどさー……」
 こちらを向いた神ちゃんのあまりにも真剣な表情に一瞬、言葉を失った。
「……あ、あの、もしもーし。真剣な顔をするとこ、ここじゃないと思うんだよね、オレ的には」
 できるだけ陽気に言ったつもりなんだけど、彼女の表情が一向にほぐれないので、こっちの笑顔もどんどん弱くなってくる。
 ――オレって場違いじゃない? ものすごく。
「……甘く考えすぎてたかも。すっごく勇気がいるんだね」
「何が?」
「朝、茶化してごめんね」
「いや、別に……」
 朝って、オレが告白を失敗したというアレか。
 何だか、ここの雰囲気だけがどんよりと、雲行きが怪しくなってきた。
 相談会はいずこへ?

「わたし……中学の頃からずっと、渉くんが好きだったの……」

 そうか、予行練習だな。セリフ的にはマンガでよくある、王道パターンだ。
 名前出ちゃったねー。ワタルって……?
 ――ワタル?
 ワタルって誰だよ。
 中学が一緒だったワタルくんってどの人? この人? ここの人?
 ……オレかぁぁぁ!!

「あっはっはー。やだなぁ神ちゃん。冗談キツイって」
 心から笑えない。このネタ、キツいよ。マジで。
 適当に誤魔化したものの、彼女の表情はみるみる眉間にしわが……口元が引きつり出した。
「冗談な訳ないでしょ? 何だかすっごく頭にきた」
「へ?」
 冗談じゃ……ないの?
 そう理解したときにはすでに遅し!
「この、超ド級鈍感おバカー!! もう、だいっきらーい!!」
 という捨てゼリフ(?)と同時に、見事な平手打ちを頬に食らってしまった。

 本当に怒ったらしく、長い髪が翻るほどの勢いで向きを変え、大振りな動きで帰っていった。
 神ちゃん、キャラ変わったね……。


 本日、告白ラッシュですか?
 みんな急いでどこいくの?
 おおおお、オレだけ出遅れたー!!





 今、考えたら、それにはちゃんと意味があった。
 中学の頃、神ちゃんにまほちのことを好きだと打ち明けてから、彼女のことを色々と聞いたりしていた。
 その話を始めると、時々、暗い顔をしていた。
 あの頃のオレは、毎度同じ話ばかりで飽きているのだと思っていた。だからできるだけその話題には触れないように努力はしたものの、結局、まほちの話ばかりしていた。
 あの時の表情は、飽きていたのではなく、好きな男が別の女の話をしてくるから、辛かっただけなのかもしれない。
 今日、オレが告白を失敗したのは、神ちゃんにとっては嬉しいことかもしれない。
 だから、笑ったんだ。

 告白に勇気がいることは、オレだって知ってる。
 意を決してそうしたのに、オレは冗談だと思い、神ちゃんを怒らせたのは紛れも無い事実。
 もしかしたら、まほちに告白してもそんな風に冗談だと思われたかもしれない。
 オレ達は、それだけ近すぎた。
 各々の、想いは一方通行で、まほちだけ想いが成就した。
 その時点でオレの想いは行き場をなくした。
 だったら、どうすればいいんだろう?

 そんなことをしばらく校舎裏で考えていたのだが、体育館から聞こえてくる罵声と、音楽室辺りから荒れ狂ったように聞こえてくるギターの音がうるさいので、さっさと帰ることにした。


 駅まで来たが信号を渡り終えて間もなく、発車してしまった。
 ホームに居ても面白くはないし、ゆっくりと考えたいこともあるので、自動販売機でジュースを購入し、とりあえず駅前のベンチに座っていた。
 次の電車が来る前にやってきたのは、百異館高校発、ラブラブ特急四六四九号……まほちとヤツだった。おのれ、仲良く手なんか繋ぎやがって! 羨ましいったらありゃしない。
「渉、こんな所で何してるの? あんなに早くに学校出たのに電車に乗り遅れたの?」
「あー、お構いなく」
 早く出たのは教室だけで、学校から出たのは数分前だ。
 とにかく、行くならさっさと行ってちょうだい。特に男の方。
「だってさ。こんなの放っておいて……気をつけて帰れよ。転んでオッサンのカツラ、うっかりむしりとるなよ」
「ぶー。私を何だと思ってるのよー!」
 いや、そのうちやりかねないから怖い。……やはりよく知ってるな、この男。昔からこんな感じだったのか……ムキー! 昔のまほちを知っているとは、許せん岡崎!
 コイツを見ると、何にでも対抗意識を燃やすオレってば、まだまだお子様だなぁ。とは思っても、止まらないものは止まらない。

「じゃ、また明日な。お前、暇なら部屋の片付け手伝えよ」
 伸びてきた手に、がしっと後ろ襟を……掴んで言うセリフかこんちくしょー!
「人にものを頼む態度かコラ! 聞いてんのか、オイ……岡ざっ――!」
 下のシャツごと掴まれてるもんだから、首が、息が苦しくて、反射的にヤツの行く方へと足が行ってしまう。

「オマ……エは……人を殺す気か!」
「ああ、悪い悪い」
 駅前ベンチから横断歩道の手前まで――三十メートルぐらい引きずられ(?)、やっとの思いで絞り出した声で、ヤツはようやく手を離した。
 しかもその言い方、全然悪いとは思ってないだろう。
「何だよ、そんなに怒らなくてもいいだろ。どのみち帰る気はなかったくせに」
 全てお見通しって訳か……でも、ソレとコレとは話が別。
「怒りたくもなるわ!」
 告白しようとしていた所でまほちを取りやがって、まほちを取りやがって、取りやがって……取りや(以下略)。帰る気なくても引きずられたらたまらんわ!
「まぁまぁ、怒りたくなる気持ちも分からなくもないが……」
 ほほう。自分のしたことがオレにとってどんなことか、一応、分かってんのか。
「ささーっと水に流して……」
「流せるかー!!」
 と思いっきり叫び、はぁはぁと肩で息をするオレ。
 やっぱり……コイツ、嫌いだ。
「まぁまぁまぁ、ジュースでも飲んで落ち着いて……」
 とジュースを差し出してくる。何だ、意外といいヤツ……。
「ってこれ、オレがさっき飲んでた分だろ!」
 中身、減ってるぞ?
「間接キスを気にするタイプ?」
「んなこと聞いてねぇぇ!!」
「そんなに怒るなよ。そのうち頭の血管、切れるぞ」
「もう、はち切れとるわー!!」

 走って逃げる岡崎を追い回し、何だか気付けばどこかのアパート。
 ドアの前で止まって余裕の笑みを浮かべるヤツ。その笑顔もそこまでだ! 仕留めた、と思った瞬間――岡崎が急にドアを開けたので、衝突を避けようと急ブレーキ。……が、ドア目前でヤツに思い切り肩を叩かれ、進行方向が九〇度変わってしまい、部屋の方へ。
 ここでの選択肢は二つだ。止まるか、このまま土足で部屋に上がるか。
 靴で上がったらダメだ! と、こんな時に日本の常識が頭を過ぎったオレは……結局止まることもできず、足をフローリングに上げることもできず……その中間、第三の選択肢。
 玄関の段差に足が引っかかりみごとに転倒した。
「ふっふっふっふ、捕まえた」
 な、な? なんだとー?!!
 とっさに体を起こし岡崎の方を向いたが、ヤツは不敵な笑みを浮かべ、後ろ手にドアを閉じ、ご丁寧に鍵まで閉めた……。
 しまった、これは誘導尋問だ!(←違う)まんまとハメられたのはオレか!
「土足で上がらなかった所は評価してやる。ま、上がれば?」
 片付けが何とかって言ってたけど、岡崎がこの部屋の住人? 一人暮らしってこと?
 逃げようにも玄関ドアの前に岡崎が立ったままだから逃げられそうにもない。仕方なく靴を脱ぎ、奥の部屋へと入った。
 さっき、部屋の片付けを手伝えとか言ってたような気がしたけど、ちっとも散らかっていなかった。どちらかといえば、もう片付いてる。
 冷蔵庫を漁っていた岡崎が、立ってきょろきょろとしているオレに何かを投げてくる。
「あ、どうも……」
 一応、礼儀はわきまえている……?
 ん? これはお酒です?
「あのさ……未成年だよね?」
「ああ、十六になったけど」
 もう誕生日来たのかよ。それでも足りてないよ……年齢、全然足りてない!
 更にご法度物が出てくる。……この人、不良だ!
 ここで、最悪の事態が脳裏を過ぎる。
 ――もしかして、不良にヤキ入れられるのか? 私刑? 俺の女にちょっかい出すんじゃねぇぞ! みたいな?
「今、俺を見る目が変わっただろ? 向こうの友達がそんなんだったし、俺も色々あったんだよ」
「暴走族とか、万引きとか……」
「してねぇよ。そっちじゃなくて……」
「シンナー、覚醒剤? 木刀、喧嘩?」
「人を何だと思ってんだよ、お前は。怯えた顔しやがって……」
 だって……茶髪じゃないか! 学校内でも何人か居たからオシャレでそんなことしてるんだと思ってたのに、ご法度物が出てきたら怖い方の不良だと思うだろ。
 健全で真面目なオレをどうするつもりなんだ! まだ女の子と付き合ったこともないんだぞ! 何だか、生きて帰れる気がしない!!
 ってか、さっきまでのオレの勢いはどこにいっちゃったんだよー。
 近づいてくる岡崎に何故か正座で構え、怯えるオレ。
 そのまま通り過ぎて窓を開け、外を眺めている。
 陽の光で、髪の色が更に明るく見える。
 岡崎の方がオレよりちょっと身長が高いぐらいなのに……仕草や、ただ外を眺めている姿だけでもすごく大人に見えた。
 これが……まほちの好きな男……?
 オレにはない、何かを持っている。大人っぽさだけじゃなく、他の何か……。
 何にしても、ヤツには余裕があるように見える。
 悔しいけど、コイツには敵わないような気がしてきた。
 だからと言ってまほちを諦めるって訳じゃない。彼女を想う気持ちが変わるはずがない。
 ……ない、はずだ。

 何かが……引っかかってる。


 神ちゃんの、あの表情だ……。
 今までに見たこともない顔。
 まほちの笑顔より、数万倍の破壊力。
 オレ……告白されたんだ!!
 おお、やめてくれ! 今、ここで思い出すことはないだろ!!


「お前の頬、神田に殴られたんじゃね?」
 どっきーん。
 口が開いてたら、心臓が飛び出すところだった。そのぐらいの勢いで心臓が跳ねた。
 っていうか、そんなに痕が残ってる? そりゃこっちも相当痛かったけど……。
「なななななんでそう思うんだよ!」
 あれは誰も見ていなかったはずだ。なのに、何でズバリ的中なんだよ。
「まず第一に、ほぼ同時に教室から出たはずなのに、一緒に帰ってないから。お前ら仲がいいし、帰る方向一緒だろ? おかしいじゃん。
 次に、神田が昔よりおとなしくなった気がしたから。まぁ、お前が居る時限定だけどな。
 最後に、今のお前の態度。かなり動揺してる。
 本当は、そんな気がしてただけでカマ賭け質問だったりするんだけど、見事に引っかかったお前も悪い」
 それだけオレの方を向いて言うと、岡崎は外に視線を戻した。
 いや、思うだけに留めてほしかった……。
「神田、前はあんな子じゃなかったんだけどなー」
 どこが、なにが、どの辺りがどんな風に? オレは中学から一緒だけど、相変わらずって気がするけど……まほちに比べると落ち着いてるし、面白いことは言うけど、子供っぽさがなくて――うん、とにかく落ち着いてるんだ。確かに今日のは焦ったけど。まほちなんか、全然進化してねーってカンジ。……進歩か。
 はっ! オレは何を考えてんだ? 見事に食いついてどうする! コイツの思う壺だ。
 それより、何でオレはコイツと普通(?)に会話してんだよ。一応、ライバルだぞ。……オレがライバル視してるだけか? いやいや、だからと言って仲良くしようなんてこれっぽっちも思ってないはずだ。
「神田はいい子よ? 席もお隣同士だし、仲もいいんだから付き合っちゃえば?」
 そうススメられると……揺らいでしまうオレの心。
 やめろ、ワタル! オマエはまほち一筋じゃなかったのか!
 だって、まほちはオレを友達としか見てくれないし、神ちゃんにあんな顔して告られちゃって……。
「お前が真歩にちょっかい出さなくなるし、俺も神田も本命掴んで万々歳だ」
 そして鼻で笑う。
 キサマ……自分の事しか考えてなかったんかい!
 オレの告白を邪魔したくせに……。いや、だからか。
 冗談抜きで、コイツにそんな話ばかりされたら本当に……。
 何を弱気になっている! オレは自分の想いを貫くんだ!
「お前がいつから真歩を好きだったかは知らないけど――」
 岡崎の声音が先程とは違うので、思わず視線をヤツに向けると、岡崎もゆっくりとこっちに顔を向けてきた。
「絶対に譲らないからな、真歩だけは」
 それは想いの強さの違いなのだろうか。岡崎の表情はいつになく真剣で、怖いぐらいだった。
 オレは何も言えず、視線を逸らすこともできなかった。


 あの時――今朝の告白を覗き見してしまった時――まほちの心は奪えないものだと知ってしまったから、奪い取ろうだなんて思っていない。するだけ無駄だと分かっている。ただ、虚しくなるだけだと。
 知ってしまった事で脆く崩れる想いだとは思いたくない。
 引っかかった何かが、それを崩しはじめていることも、認めたくはない。
 ここで負けを認めれば、あっという間に崩れそうなこの儚い想いは――夢か、幻か。

 まほちへの想いだけは誰にも負けないと思っていたけど……悔しいけど、この男の想いの強さには、勝てそうにない。
 彼女を想っているという、その自信さえも失いそうな勢いだった。


 それきり会話は途切れた。
 オレは、帰る、と一言だけ言うと、ヤツの部屋を後にし、駅へ向かった。





 どうしても思い出してしまう。
 一瞬の出来事だったそのシーンを、セリフを、何度も何度も繰り返し。
 急なことで構えてなかった分? オレが勝手に勘違いしたから? 彼女を傷つけてしまったことには変わりなく、怒らせたことも事実。
 ――明日、どんな顔で彼女に会えばいいのだろう。
 そんなことばかりを気にしていた。


 夕食の最中、溜め息ばかり漏らしていると、正面に座る姉――専門学校生のくせに女子高生気取り。ルーズソックス愛用――から手が伸びてきて、思いっきり頭を叩かれた。
「つーかうざい。クソうざい、チョーうざい!」
 アンタの言い方の方がクドくてうざい、とか言ったら半殺しは覚悟しなくてはならない程の暴力姉。自爆行為はしない。十五年の経験上、とりあえず黙っておくのが一番いい。
「……さっさと寝ちまえ!」
 反抗も反論もしなければさっさと諦めてくれる。
 オレにもそんな潔さがあれば……と少し思っていた。


 早々と食事を終え、自分の部屋に戻ると、考え事の重さのせいか、そのままベッドに倒れこんだ。
 彼女の幸せを第一に考えられる程の器が欲しい。
 男としてではなく、一人の人間として、親友を祝福できるように、自分だけが幸せになることばかり考えるのではなく、皆が……と思えるように。

 まほちが幸せになったのに、オレは辛くなった。
 神ちゃんも同じ気持ちだったのかもしれない。あの言葉が本当だったら……。
 ――まだ、信じられない。
 今までそんな素振りなんて一度もなかったから……自分も同じだ。
 あの時、まほちの告白できていたとしても、彼女を困らせるだけだった。どのみち、想いはヤツに向いていたのだから、親友であっても、その一線を越えることなんてできなかっただろう。
 でも……だけど……それでも……。
 堂々巡りするばかりで答えなんて出てこない。
 とりあえず、今は明日の事だけを考えよう。





 両親は仕事の関係で、昼近くに出勤し、夜遅くに帰ってくる。
 おのずと姉が食事の担当をするようになった。
 学校に持っていく弁当はもっぱら姉弁。機嫌が悪い時は、ご飯と梅干――日の丸弁当だったりする。
 毎朝、オレを起こすのももちろん彼女の仕事のうちである。
「早く起きろ! あたしが学校に遅れるっつーの」
 頭を叩き、起こされる。毎度の事ながら具合が悪い。
 それでなくても今日は行きにくいというのに……。

 いつも通り朝食を取り、学校に行く準備をして家を出たが、いつもの電車には乗らず一本遅い電車に乗った。
 それだと、遅刻ギリギリではあるが、彼女たちと顔を合わせる時間が少しでも減ると考えたからだ。
 それでなくても席が近いというのに……。
 教室に入ると、まほち、神ちゃん、岡崎――三人が仲良く話していた。
 とりあえず、三人に向かって挨拶はしておいたものの、話題に入ろうとはせず、席に着いた。
「どうしたんだろ? いつもならすぐに噛み付いてくるのに……」
「大人になったんだろ?」
 まほちと岡崎がオレの方を向いてそんなことを言っているが、視界の片隅に入っている神ちゃんはこちらを向く事はなく二人の方を向いたままだった。
 それが返ってオレをここに居づらくさせた。

 学校がこんなにつまらない所だったなんて、今まで一度も思ったことはなかった。
 今日はそれこそ授業だけを受けに来たような感じで、ほとんど誰とも喋っていない。
 授業が終われば部活に行くか、締め出されるまで教室に居たりしたのに……。
 高校に入ってから部活は強制でなくなった分、どこかに入部している訳でもない。
 今まで居た話し相手と気まずくなっただけに、居残る必要もない。
 オレは学校が終わったのと同時に帰宅するしかなかった。


 オレの位置に岡崎が入れ替わりで入ったことで、あの三人にとっては昔の形に戻っただけかもしれない。
 オレは……オレの居場所ってどこにあるんだろう?
 もう……ないのかな?
 他に友達が居ない訳じゃない。
 オレの居場所がココではなくなっただけなのかもしれない。
 オレが避けているからそうなっただけかもしれないけど、いきなりそれも何だか寂しい。





 ――来週の週番、オレと神ちゃんじゃん!
 気付いたのは土曜日の夕方。
 気は重くなる一方だ。
 あの日以来、神ちゃんとは会話さえもしていないというのに、それに耐えられなくて逃げてきたようなものだというのに……。
 家に居たらどんどん悪い方に考えてしまう。気分転換に外出するとしよう。
 こんな時間から外出しようとすると、『ガキがこんな時間からブラブラするんじゃない!』って鬼姉が噛み付いてくるところだが、幸い今日は出掛けている。両親も仕事。いつもの夕飯時間内に帰ってくれば、殴られる心配はないだろう。

 ぷらぷらと適当に歩いているつもりが、どうもこの道、通学路。職業病だろうか、用もないのに駅へ向かってしまう。このまま学校まで行かなきゃいいんだけど……。
 辺りが薄暗くなってきた頃、駅の構内にまで来ていた。
 ここまで来たついでに、レンタルショップで何か借りた方がいいかも……と考えていると、見覚えのある姿が視界に入り、思わず物陰に隠れた。
 様子を伺おうと、こっそり覗き見ると――あれは間違いなく神ちゃんだ。
 こんな時間に駅で何をしてるんだろう?
 駅から電車が出発して間もなく、改札口の方に手を振る彼女。
 誰かと待ち合わせでもしてるのかな?
 そして駆け寄ってきたのはまほちだった。
 こんな時間に電車で帰ってくるとは……それって、岡崎の所に行ってたってこと?

 …………ん?
 ……あれ?
 何でだろ、ムカっとこない。

 自分の事なのに首を傾げて考え、自問自答してみる。
 ――何かが微妙に変わり始めてる?
 そんなことはない。
 ――最近、気にしている事は何?
 神ちゃんの態度。まほちと岡崎は相変わらずなのに、神ちゃんだけ……。
 十分、気にしてるじゃないか。
 それに気付いて体が重くなるようなショックを受けている自分。
 オレ病気。うん、病気だ。恋という名の病――。
 ときめくような単語の病気。
 重症患者が一名ここに居ます。誰か、いい病院を、処方箋を――。
 いや、オレのおかしくなり始めている思考が一番の問題だ。
 ああもう、そんなのどうでもいいから、この状況を何とかしてくれー!!
 草原でのた打ち回りたい衝動に駆られ、ほぼ全力疾走で家に戻った。

 そして、部屋のベッド、落下して床をのた打ち回ってみた。
 ――『恋』……恋なのか? 鯉ではない。目を丸くして口をパクパクなんて、相当驚かなければできないし……のぼってないし、屋根より高くない。
 いんや、鯉のぼりのごとく、風に流されフワフワとなんとなく飛んで、まほちという紐が切れてどっかに飛んで行っちゃった。
 そんなオレを拾ってくれるのは神ちゃんなの?
 いや……もう遅いか……。
 『もう、だいっきらーい!!』とまで言われて、平手打ちまでおみまいされた。
 そして、学校での態度がアレだ。
 床を転がるのを止めると、大きく溜め息が漏れた。

 ――どうにもなんないよ……。もう、ダメだ……。

 大きく気を落として、思考は結局ふりだしに戻るのであった。





 そして、何の解決法も見つからないまま、来てしまいました、月曜日。
 時刻は午前六時前。普段ならまだ寝ている時間に自然と目が覚めた。
 することはないし、最近、考えることといえばただ一つ。
 アレ関連ですね……。
 日直なのにギリギリの電車はマズいだろう。
 いつも乗っていた電車だと、きっと二人に鉢合わせるだろう。三種の神器が揃ったところで何も起こりはしないけど。
 せいぜい、オレと神ちゃんの間にイヤーな空気が流れる程度……程度では済まないな。
 それなら一本、早い電車に乗るしかない。
 それなら早く朝食を済まさねば……。

 一階に降りて、朝食と弁当の準備をしていた姉にその旨を伝えると、
「前日から言え! こんちくしょうめ!!」
 と、冷凍庫から取り出されたばかりの食パンを投げつけられた。
 忙しいので自分で何とかしろ、ということだろう。とりあえず、そのパンをトースターに入れた。
 オレが学校に持っていく弁当までも見事にとばっちりを食い、詰めてある白ごはんの横に出来たばかりの玉子焼きだけを無造作に並べただけで蓋を閉められた。
 冗談抜きで涙が出そうだ。今日は教室で食べれない!!
 コンビニでからあげでも買って詰めておこうかな……。


 普段より一本早い電車。最近乗ってたのよりも二本早い訳で、利用者もそこそこ少なかったりする。
 だからだろうね。すぐに見覚えのある姿を見つけてしまったのは……。
 階段を昇りきって、視界に入った途端にオレは体の動きがおかしくなった。

 ――!! ワタルちゃん! 右手と右足が一緒に前に出てるっす!!

 明らかに動きがおかしい人間が、人が少ないホームで目立つのは当たり前。
 こちらを向いた神ちゃんの表情が、無から驚きに、そして呆れへと変わったのをオレは見てしまった。
 同時にオレの動きも止まってしまったけど。
「あ、あは、あはははははは」
 とりあえず、笑っておく事にしよう。いや、今のオレは笑って誤魔化すことしかできないんだよ。
 何を話していいのか分からないんだ。
 どう接したらいいのか、忘れちゃったんだよ。
 こういう場合、どうするのが一番いい?
 そんな問いが頭をグルグル。だけど分からないものは分からない。

「ほんと、真歩に負けず劣らずのお間抜けさんね」
 ――へ?
 神ちゃんが笑いながら、そうオレに言った?
「どこがっ!」
 すぐさま突っ込んでしまう。……いつも通りに。
「同じ側の手足を一緒に前に出すのは、緊張が絶頂に達した真歩だけだと思ってたのに、ココにも居るんだなー、と思って」
「オレかよ!」
 バカにすんなよー! オレだって、日々努力して生きてるんだから! 言い合い上等!
「改めまして、おはよう、渉くん。今日から一週間、日直ヨロシク」
「あ、うん、おはよ」
 あれ、いきなり終わり?
 急に挨拶に変わっちゃったから拍子抜け。オレの挨拶返しは対応できずに曖昧だ。
 でも、こうやって話ができるだけで、何でこんなにも嬉しいんだろう。
 どうして神ちゃんはあんな態度を取ってたんだろう?
 オンナノコって、分からない。

 ――でも、ま、いいか。
 戻れるんだったら、オレが戻ってもいいんだったら……それだけで。


 まもなく、電車がホームに入ってきた。
 一緒の車両に乗って、隣に座って、つたない話をして――。
 次の駅で降りて、並んで話をしながら学校に行く。
 話が盛り上がるとすぐに学校に到着したような気分になって……。
 そんな当たり前だったことを失い、取り戻して気付いたことがある。

 一人になってしまったらつまらなくて……今まで楽しかったものが、全く別のものになってしまうことを――。


 学校に到着し、教室に上がる前に職員室に寄って、担任から日誌を受け取った。
 いつもより三十分も早い電車で来たものだから誰も居なくて、あの騒がしい教室が嘘のように静まり返っている。
 二人の足音と、椅子を引く音がやけに響く。
 そして、さっきまで普通に話していたのに、どちらも口を開かず、席に座ってからずっと黙っていた。
 ……学校に来たからかな、あの日のことを思い出してしまうのは。
「「あの……」」
 やっとの思いで出した声は彼女と重なり、そこから続けようとしていた言葉が頭の中から消えた。
「な、何? 神ちゃん」
「渉くんこそ……」
「いや、オレは後でいいから、神ちゃん――」
「渉くんから言ってよ」
「いや――」
 このままでは永遠と譲り合いになりそうだ。オレも男ならビシっと……何を言おうとしてたんだっけ?
「この前のコトだけど……」
 だいたい、あの時のオレの態度が原因で――。
 ……どう言えばいいんだろう。また怒らせてもマズいし……。
「……ウソ……じゃないから」
 こじれないように話を進められる言葉を捜している時、彼女の方が先に口を開いた。
 反射的に顔を神ちゃんの方に向けたが、彼女は悲しそうに目を伏せていた。
「う、うん。……あの時は、ごめん」
 その事で怒ってると思ってたから、ずっと謝りたかった。これで少し、ほんの少しだけ心が軽くなったような気がするけど……。
「まぁ、そうよね。いきなりあんなこと言われても、冗談としか思えないでしょうね。渉くんだって、真歩に告白できていたとしても、同じように言われたかもしれないわ」
 ――ぐっさり。
 うん、そうかも……。

「好きだから許せない、そういうことってあるでしょ?」

 好きだから、許せない?
「渉くんだったら、真歩が成水くんと付き合うことを許せなかったでしょ? わたしも似たようなものよ。わたしじゃない誰かが好きだったから、想いを言えなくても悔しくて、やっと想いを伝えたのに、冗談だと思われたことが許せなかった」
 ああ、そうか。オレもそうだったのか……。
 岡崎があの時、オレの告白を邪魔したのも、真歩だけは渡さない、と忠告したのも、好きな女を守る為で、ヤツもそうゆう輩は許せなくて……。
 だからオレも、岡崎の行動が許せなかった?
 ん? 神ちゃんのとは意味が違う許せないだな。

 ――でも、今はもう違う。その許せないはなくなった。

「オレも、今だから許せないことがあるなー」
 何のことか気になったのか、神ちゃんはオレの目をまっすぐ見つめ、首を少し傾げた。
「先週の神ちゃんの態度。神ちゃん程じゃないかもしれないけど、アレはかーなーり傷ついた」
 また視線を逸らす彼女は、少し恥ずかしそうだった。
「……だって……」

 ――オレ、神ちゃんとだったら……。
 いや、決してまほちの代わりではなくて、全く別で――。
 そんな事を考え出したら急に意識してしまい、オレも神ちゃんから目を逸らした。
「そのおかげか、どうだか分からないけど……神ちゃんが居ないとダメだって気付いたんだ」
「え?」
「学校はつまんないし、ヤル気出ないし……まるで今までとは別世界みたいで辛くてさ……それに」
 それにさ……。
 神ちゃんがオレを真っ直ぐに見つめていることに気付き、言葉が出てこなくなってしまった。
 でも、今言わなきゃ二度と言えないような気がする。
 勇気って、こういう時に発揮するもんだろ! 何をためらってるんだ。これじゃ勘違いされたままになるじゃないか。
「それに……あれから神ちゃんのことばっかり気になってさ……何て言えばいいんだろ、えっと……」
 もう、ダメダメだ。何を言ってるのか分からなくなってきた……。
「大嫌いって言われたのがスゴく痛くてさ……、あの、嫌いにはならないでほしいかな……」
 順番はメチャクチャだったけど、これで言いたかったことは全部言えたかな?
「嫌いになるわけないじゃない。すぐに気持ちが変わるわけないじゃない。そんなに軽い想いじゃないわ」
 ……そりゃ、そうだよね……。
 だけどオレはどうなんだろう?

 ふと気付いた頃には、まほちに対してそういう感情は次第に向かなくなっていた。
 まほちと岡崎の想いの強さに負けちゃったから、諦めたのかな?
 だからといって、神ちゃんが好きだという自信はない。まだ、時期も気持ちも中途半端だし、いつか、本当に、神ちゃんのことが好きなんだって、自信を持って思えるようになったら、その時はちゃんと自分の口で気持ちを伝えるよ。

「よっし、じゃとりあえず、窓でも開けますか」
 今は友達のままだけど、一緒に居られるだけでオレは嬉しいから……。
 オレは机に両手を突いて立ち上がると、外に面した窓の方へと足を踏み出した。


 強くも弱くもない太陽の光が、やさしくオレを照らし、窓を開けると、心地良い風が頬を撫でる。
 まるで自分が生まれ変わったかのように、当たり前のそれらを新鮮に感じた。





 その後しばらく、オレと神ちゃんの関係は前進も後退もしなかった。
 自分の気持ちがようやくはっきりとしたのに、友達という関係から一歩、踏み出せないまま、梅雨に入った。

 ――そんな雨が降る日の学校帰り。
 電車をあと数メートルという所で見送ってしまい、次の電車まで待つことになった。誰もいないホームのベンチで神ちゃんと二人きり。
 誰もいないというのはちょっとウソ。売店におばちゃんがいたけど。
 まさにドラマ級のシチュエーション。
 互いが意識しているせいか、会話も途切れ途切れ。自分の胸辺りでドクドクと脈打つものが、やけに気になったりもする。
 話をしている最中も、どうするべきか悩んでいた。
 こんなチャンス、見逃すにはもったいないし……。
「神ちゃん」
「うん?」
「付き合って……くれる?」
 体も顔も前を向いたまま、横に座る彼女の様子を伺う余裕もなく、それを言うのが精一杯だった。
 しかし返事がなかなか返ってこない。……これは、またもや出遅れたか?
「買い物?」
「……違う」
 これは仕返しなのか、冗談じゃなくて本当に通じてないのか、オレは頭を抱えずにはいられなかった。
 これはかなりショックだ。今更かもしれないけど、ようやく知った――彼女も感じた痛み。
「本当? 同情だったらイヤよ」
 ――言葉だけじゃ伝わらない?
 頭を抱え込んでいた手をベンチに突き、勢いに任せて顔を上げると彼女を見つめた。
 神ちゃんは不安が混じった表情でオレに視線を向けた。
「同情なんかじゃないって。オレ、神ちゃんのことがす――」
 勢いだけじゃ言い切れなかった。中途半端に止めたせいで、ますます恥ずかしくなってくる。全身がものすごく熱い。次の言葉が出てこない。
 ベンチの上の触れそうで触れられない手がもどかしい。
 彼女が目を伏せ、表情を緩ませるのと同時に、撫でるよう手に触れてくる。
「本当に……夢みたい……」
 ゆっくりと上半身を傾け、オレの肩に身を預けた。
 突然のことに、それでなくても危険域に突入していた心臓が大きく跳ねた。
 そのうちオーバーヒートしちゃうよ……。


 そのまま会話もなく家路につき、次の日も照れくさくてあまり会話が続かなかったけど、一緒にいるだけで心の中から温かくなるような――とにかく、言葉じゃ言い表せないぐらい嬉しくて、幸せで……。





 しかし、そうは言ってもやはり目の前の男だけは目障りだった。
 またまたまたまた、またもや教科書を忘れたまほちと机をくっつけて仲良くちちくりあっている。
 授業中に何をやってんだ! 時と場所を考えやがれ!

 ――岡崎! 天誅ぅー!!

 机から適当に取り出したプリントを丸め、ヤツに投げつける。
 シャーペン突き刺しよりはかわいくなっただろう? ありがたく思えよ!
 岡崎の肩に当たったそれは、二人の机に転がり……しばらくすると二人の肩が震え出した。
 岡崎は前を向いたまま、ふるふると震え、丸めて投げつけたプリントを広げてこちらに見せてくる。
 ……!! それは、この前の抜き打ちテスト!! ばっちり赤点。
 隣の神ちゃんからもクスクスと笑い声が聞こえたのですぐにそちらを向いてみた。
 オレと目が合うなり顔ごと逸らしたけど、必死に笑いを堪えているように見える。声は必死に抑えているんだろうけど、体が小刻みに震えてるぞ!
 こんなものを見られた恥ずかしさもあり、乱暴に岡崎の手からプリントを奪い取ると、辺りを見回しながら机の中に戻した。
「せんせー」
「何だ、岡崎」
 急に挙手した岡崎に売られた、と思いオレは顔を歪めた。
「左利きの俺と右利きの神崎さんの肘が喧嘩します!」
 教室内が笑い声で溢れた。
 それって今更だろ! 今、何月だと思ってるんだ? 入学してから席替えはしてないし、三ヶ月以上過ぎてるし、まほちの忘れ物は毎度だぞ!
 そんな心の中のツッコミは笑いのネタにはならず、休み時間にオレがイジられることになる。
 例の赤点テストの件で。
「さすがにあの点は、私よりヤバいよ」
 こちらに体を向けて、第一声目がソレかよ。オレだって好きであんな点を取ったわけじゃない!
「よく確認してから投げなさいよ。っていうより、授業中にそんなことばかりしてるから、そんな点、取ったんじゃないの?」
 と自分の席から顔だけをこちらに向けている彼女。そんな、そんなって、あんまりだ。
 確かに前の二人が、特に岡崎の行動を見張ってたら授業に集中できなくて、八つ当たり?
 やっぱり言い訳か。確かに授業はほぼ聞いてませんでした。
 反省してます。今度から無視します。できるものならそうします。
「ばぁーか」
 ……いや、反省の前に制裁を!
 オレの顔を覗き込んで暴言を吐いたこの男だけは……岡崎だけは許さん!
 息を吐きながらゆっくりと立ち上がり、手指に腕に全身に、怒りを込めて机の両端を掴んだ。そして机の中身を撒き散らしながら抱え上げ、ヤツにめがけて――。
 しかし、危険を察した岡崎はいつの間にか、まほちの背後へ避難。
「真歩たん、神代くんがコワイ」
 卑怯だぞ! 男なら正々堂々と……。
「渉、八つ当たりはよくないよ?」
 まほち、哀れみに満ちた眼差しをオレに向けるな!
「神代渉くん。二十七点」
 撒き散らした机の中身から、先程グチャグチャにした赤点テストを拾い上げた神ちゃんが、それをオレに見せながら口を開き、止めを刺した。
 机を降ろして定位置に戻し、それを奪い取る。
「……何かの間違い。採点ミスだ、これは」
 何とか笑顔を作ってそう言ってみたものの、内心は恥ずかしさでイッパイ。再びテストを丸め、机の横に掛けてある鞄の奥深くに、押し込んで葬った。
 それから、床にぶちまけた教科書などを拾いあつめて机に納めると、何事もなかったように席に着く。
 落ち着く為に大きく息を吸って吐き出していると、オレの側まで椅子を引きずってきた神ちゃんがそれに腰を下ろし、肩に掛かった長い髪を後ろへ流した。
「今度、勉強会でもしようか?」
 そう言い終えてから顔をオレの方に向けてくる。
 ――え? それって、オレか神ちゃんの部屋で勉強会が、恋人同士なわけで、やはり変なスイッチが入っちゃったりして、エスカレートして何とかかんとか云々……更に深い関係に――い、イカン! 違う方向に思考が……。
「土曜にでも図書館で……」
「図書館?」
 予想とはかなり掛け離れていたので、無意識に間抜けな声を上げていた。
 あ、そうか。そうだよね。あははは。オレってば何を考えているんだか……。
「……なぁに? 不満なの?」
「いやいや、そんなことはないけど……」
「……やだ、変なこと考えてたでしょ!」
 指摘されたということは気付かれたということで、そんな想像をしてしまった自分が情けなく、恥ずかしくて、みるみる顔が熱くなり、頭の中も真っ白になった。
「ばっ――! 何言ってんだよ! ちがっ……うわ!」
 それでも何とか弁解しようと思ったんだけど――慌てて体を引いたせいでバランスを崩し、豪快な音を立てて椅子ごと横にひっくり返ってしまった。
 そんなオレを面白そうに覗き込んでくる岡崎。
「お前さ……もうちょっと落ち着けよ。俺みたいに」
「うるさい……うるさい!!」
「あーあ、顔、真っ赤にしちゃって……どんな変なことを考えてたんだか」
 勝手に盗み聞きしてんじゃねぇ!
 恥ずかしさ限界突破。
 ――ああ、オレのバカ、バカ、どスケベ! 色んな意味で大バカ!
 しばらくその体勢のまま、そんなことを自分に言い聞かせていた。
 反応がないオレがつまらないのか、岡崎は覗き込むのをやめ、今度は神ちゃんが耳の辺りで髪が垂れないよう押さえながら見下ろしてくる。
「大丈夫? 渉くん」
「……たぶん」
 脳みそが大丈夫じゃないかも。
 それよりも、この体勢からどう起き上がろうか考えていた。
 ――今日のオレ、カッコ悪すぎる。





 そんな当たり前で、相変わらずな学校生活をオレは満喫しているのだ。

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